独裁者の新しい手口 The Dictator’s New Playbook

Foreign Affairs3月/4月号に「The Dictator’s New Playbook Why Democracy Is Losing the Fight」(https://www.foreignaffairs.com/articles/world/2022-02-22/dictators-new-playbook)と題する論考が掲載された。日本語版はまだ出ていないようだ。

最近の選挙に政権を握った独裁者たちについて分析している。ここで独裁者の例としてあげられているのは、ブラジルのボルソナロ、ハンガリーのオルバン、インドのナレンドラ・モディ、メキシコのアンドレス・マヌエル・ロペス・オブラドール、フィリピンのロドリゴ・ドゥテルテ、ロシアのプーチン、トルコのエルドアン、ベネズエラの故ウゴ・チャベス、オーストリアのセバスチャン・クルツ、アメリカのドナルド・トランプである。なお、2022年2月25日に行われた国連安全保障理事会のロシアによるウクライナ侵攻を非難する決議案の採決では、記事であげられた国のうちインドは棄権し、ロシアは拒否権を発動した(https://jp.reuters.com/article/ukraine-crisis-un-idJPKBN2KV01P)。民主主義を守ることがお題目となっている自由で開かれたインド太平洋戦略の白々しさがわかる。

これらの独裁者たちはイデオロギーが異なるものの、権力を掌握し維持するためのアプローチはきわめて似通っているという。具体的には下記だ。

・ポピュリズムを利用
・分断を利用
・ポスト真実政治
・民主的規範を毀損
・可能なら終身の地位を確保
・報道機関を利用、時には取り巻きにメディアを買収させる
・見えすいた嘘をつき、それが大きな問題にならない
 (既存の権威の信頼が失墜したおかげ)
・腐敗したエリートを批判し、自らを民意の体現者とする

ポピュリズムから分断は自然発生し、「高潔な民衆」と「腐敗したエリート」というわかりやすい構図を作り上げる。

この分極は、民衆による指導者の「支持」の定義を変える。政策や言動を支持するのではなく、人物を支持するようになる。多くのポピュリストは、前日に主張した意見と矛盾するような意見に対しても、支持者から完全かつ無条件の忠誠心を引き出すことができる。

そのため新しい独裁者は自分のついたウソを真実だと信じさせる必要すらなくなる。真実とウソが混沌としてわかりにくい状況を作りさえすれば、民衆は自動的に独裁者を「支持」する

このへんの論旨は、以前ニューズウィークに寄稿した記事(https://www.newsweekjapan.jp/ichida/2020/10/post-11.php)で「政策ではなく心情あるいはアイデンティティで政権を支持するようになれば、野党や市民団体が政府を批判すると、支持者は自分のアイデンティティが攻撃されたと感じて反発し、政権の反論にも同意する」と同じで、ただうなずくばかりだ。

そして独裁者は選挙と法を恣意的に運用するために人や組織を変えてゆく。報道機関に対しては、取り巻きに買収させたり、財政的な困難に陥るよう誘導したりする。擬似選挙、擬似法律、擬似報道によって擬似民主主義が成立する。

こうした独裁者に対抗するのが難しい時代になっている。エンターテインメントの政治の時代なのだ。さらに産業界はロビイスト活動を通じて、政治を歪めている。

論考では、こうしたことの結果として、スペインの哲学者ホセ・オルテガ・イ・ガセットの言葉を紹介している。「私たちはなにが起こっているのかわからない。それこそが私たちに起こっていることなのだ」。我々はまずなにが起きているかを確認し、明らかにすることから始めなければならない。

この論考を読みながら、日本全体あるいは、大阪で起きていることが頭にもやもやと浮かんできた。


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