見出し画像

畸目な小説「ハンチバック」(市川沙央)を読んだ

「ハンチバック」(市川沙央)を読んだ。文學界新人賞と芥川賞を受賞したものだという。そのへんの前知識なしでたまたまネットで「人類全員にお勧めしたい」と書いている人がいたので読んでみた。おもしろかった。
どこまで書いていいのかわからないけど主人公は重度な障害を持っていて、ひとりでは日々の生活はままならない。でも金はたっぷりあるので、暮らしには困らないという境遇だ。すでに40代だが、通信制の大学に籍をおき、エロいレポを書いて小銭を稼いで恵まれない人に寄付したりしている。もちろん、処女だし、これからも非処女になる可能性はないし、子供を生むこともない。

などと説明を書いてもおもしろさはわからないだろうと思う。なぜならこれは畸なる者からの視点で語られている点がおもしろいのであって、起きていることが特別おもしろいというわけでもない。いや、特別なことは起きるのだけど、それも「畸なる」ところから発しているものだ。
主人公は身体が畸なる状態だが、登場人物には身体は健常ながらも精神が畸なるものが副主人公的な役割で登場し、最後も身体は健常、心は畸なる者がトリを飾る。

畸なる視点で書こうとした小説はたくさんあるけど、完遂されたものは少ないと思う。村田沙耶香の「コンビニ人間」は身体は健常、心は畸なる者を完遂していた。その後、数作読んだけど、最初の以外はそうでもなかったので読むのを止めた。

畸なる者は世界のどこにでもいて同じ世界にいても全く異なる世界を生きている。おそらくいま生きている世界の半分弱は畸なる者であり、だったらもはや畸なる者ではないと言われそうだが、畸なる者はバラバラの様態でまとまりがない。健常な世界がほぼ一枚板で規範があるけど、畸なる世界にはそんなものはない。だからいろいろなものが生み出され、流れ出す。ただ、そんなものが世界にあふれ出したら世界は混乱するし、終わるだろう。世界は畸なる者を孕み続けるが、それは決して生まれ落ちることはなく中絶する。なぜなら畸なる者だから。

本noteではサポートを受け付けております。よろしくお願いいたします。