Dappi騒動について思ったこと

今回はぼんやり思ったことについてのメモです。つまり完全に個人的な感想です。特に新しい情報もありません。
テレビ朝日のモーニングショーでDappi騒動を紹介していて、テレビでも取り上げられているんだと興味深く思った。

●世界の多くのネット世論操作は国内に対して行われている
何度も書いたことだが、世界の多くのネット世論操作は国内に対して行われている。このことはオクスフォード大学のComputational Propaganda Projectの年刊でも毎回確認できる。また、プリンストン大学が行った調査でも同様の結果となっている。表はネット世論操作上位17カ国の比較。

世界49カ国が民間企業にネット世論操作を委託、その実態がレポートされた
ネット世論操作能力上位17カ国に共通する特徴 上位国の全てが政府を支持し、対立政党や市民団体、人権団体、ジャーナリストを攻撃するネット世論操作を実施
https://www.newsweekjapan.jp/ichida/2021/01/post-17_2.php

30カ国96件の影響力行使をまとめたプリンストン大学の「Trends in Online Influence Efforts」
https://note.com/ichi_twnovel/n/n8af80f2de789

しかし、よく知られているのはロシアや中国、イランなどの国外(アメリカなど)に対するネット世論操作である。国内に対するネット世論操作はあまり報道されることがない。ニュースバリューがないことと、政権側からのネット世論操作は扱いが難しいのである。
たとえば、SNS企業が当該国の政権側の真偽あるいは妥当性(人種差別、思想や宗教への差別など)を判断するのは難しい。なぜなら、当該国においての公式な事実は当該国政府の発表とみなされるのが妥当だからだ。SNS企業は私企業であり、私企業が一国の政府の公式な発表を否定することにはさまざまな障壁がある。

こうしたことから国内向けのネット世論操作の多くは当該国内のジャーナリストや研究者が暴くことも多いが、海外の専門機関(デジタルフォレンジック・リサーチラボやグラフィカなど民間企業あるいはMETAなどのSNS企業)が暴くことも多くなっている。こうした海外の専門機関はほとんどの場合、非民主主義国から民主主義国への干渉や、民主主義国の非民主主義国化へ危険に対応していることが多い。Dappiが仮に自民党と関係があったとしても、自民党は民主主義を標榜する政党であり、いわゆる民主主義をリードするアメリカと良好な関係を保っている以上、海外の専門機関の調査対象になる可能性は低い。すると、Dappiを暴くのは国内のジャーナリストと専門機関ということになるが、これまでの報道を見る限り、日本国内にネット世論操作の専門能力を有するジャーナリストや専門機関はないようだ(少なくとも政権党のネット世論操作を暴くことはない)。

こうしたことを考えると、Dappiの問題がどのような結末を迎えるかは予想できる。

●誰が「正しさ」を判断するのか?
今回、Dappiの問題は民事訴訟に発展した。今後は刑事訴訟が行われる可能性もある。司法がDappi問題の「真実を裁定」してくれる。
しかし、Dappiは今回の訴訟になった件以外にも問題のある発言を多数行っているし、Dappi以外にも多数の問題発言を行うアカウントが存在している。こうした無数のアカウントと発言にはどのように対すればよいのだろうか? よく言われるのはファクトチェックリテラシーだ。莫大なデータをもとに事実を担保するアプローチもありそうだ。

ファクトチェックは誰でもできるので、ファクトチェックそのものが信頼性を確認する必要がある。正しさを担保する人は、「真実の裁定者」と呼ばれ、ファクトチェックの根幹なのだけど、このことに触れる記事はほとんど見かけない。これはとてもおかしなことで、「どのような根拠で」、「誰が」、「どのように」、「正しさ」を判別するのだろうか?

一般的に民主主義を標榜する国家においては、国民が、「真実の裁定者」である。ファクトチェック・イニシアチブのページにも下記のように明記されている。

「真実の最終裁定は言論社会に生きる人々に委ねられています。私たちが志向するのは、人々が正確な事実認識を共有できるよう、判断材料を提供することです。」

多くの民主主義国家では、国民が個々の真実を裁定することはなく、行政あるいは司法に委託されている。したがって多くの民主主義国家では、(国民が意義を唱えない限り)行政あるいは司法の判断が「真実」となる。乱発される閣議決定も国民の付託を受けた機関の決定である以上、日本においては「正しい」こととになる。これは日本の行政と司法の根幹であり、これを否定することは日本社会の基本を否定することになる。
最高裁裁判官は内閣が閣議決定し、法律は国会で審議され、法執行は行政が行う。現在の仕組みは行政に事実上の権限が委ねられている。
つけくわえると非民主主義国家の多くでも同様に行政を掌握している機関あるいは個人が「真実の裁定者」となっている。

つまり、国民が意義を唱えない限り、行政と司法の判断が「正しい」のである。しかし、残念なことにフェイクニュースを始めとするネット世論操作が横行する時代に個々の案件を国民がいちいち意義を唱えて真実の判定を行うことは現実的でもなく、その仕組みも存在しない。民事あるいは刑事で告訴できるもの以外は司法の埒外であり、国民が公にファクトチェックを行う仕組みはない

リテラシーについては、以前にも書いたのでそちらをご参照いただきたい。

フェイクニュース対策としてのメディア・リテラシーの危険性 データ&ソサイエティ研究所創始者&代表のdanah boyd氏のスピーチ「You Think You Want Media Literacy… Do You?」の紹介
https://note.com/ichi_twnovel/n/n91c01ed094ae

莫大なデータから事実を明らかにしようとするアプローチは偏った結論になる可能性があるので、こちらも注意が必要だ。

【長文版】大量のデータは中立や客観性を保証するのではなく、逆に偏りを生む。冗長注意!
https://note.com/ichi_twnovel/n/n600efa93feb9

●基本を見直さなければなにもできない
ここまで書いた内容を読んで身も蓋もない印象を持った方もいると思う。その通りである。何度も書いていることだが、社会の基本的な仕組みを見直さなければいけない時期にきている。少なくとも適切で効率的なことはできない。

時代は大きく変化した。変化していないのは個人の感覚である。世界の趨勢は非民主主義国になった。国の数も人口も非民主主義の方が多い。国際機関で多数決を取れば負ける。そんな時代に民主主義的な価値観を当たり前のように振り回すのは愚かである。もはや、当たり前ではないのだ。
事実も正しさもこれから加速度的に変化してゆく。それを作る側になるか、変化を受けとって抗うだけの側になるかはこれからの行動次第だ。これまで民主主義国だった国は、作る側に回らなければ抗うだけの側になる。

最後に拙著をPRさせてください。世界に対する常識を更新しましょう。

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