独裁者ノート  独裁者は指導者民主主義を目指す

メモ程度に書き留めました。

民主主義は変化の時期を迎えており、今後の有力な選択肢のひとつは指導者民主主義である。見かけ上、民主主義でありながら、実質的には独裁である。指導者民主主義はマックス・ヴェーバーの用語であるが、独裁者を志す者にとっては使い勝手のよい統治形態と言える。

・民主主義が変化の時代を迎えている兆候
 (多くの識者が指摘)民主主義は2,500年以上前から存在し、変化を続け、200年前から世界的な統治形態となった。現在も変化を続けている。マルクス・ガブリエルの議論は大変啓発的。
 (イアン・ブレマー)政治学者のイアン・ブレマーはGZEROを提唱。経済はおよそ7年で周期的に循環し、政治はもう少し長期で変動する。現代は世界のリーダー不在のGZEROの時代に当たる。「首相、ブレマー氏と意見交換」 https://r.nikkei.com/article/DGXMZO65384780T21C20A0EA3000?s=5

・ネットの影響
 (Shoshana Zuboff)ハーバード・ビジネス・スクール名誉教授Shoshana Zuboffはグーグルやフェイスブックがもたらす『監視資本主義』が民主主義を変容させるリスクを指摘している。 https://www.newsweekjapan.jp/ichida/2020/10/post-12.php 彼女以外にもSamuel Woolleyやクリストファー・ワイリーなどさまざまな専門家も同様。
 (スティーブン・レビツキー、ダニエル・ジラット)スティーブン・レビツキー、ダニエル・ジラットは『民主主義の死に方―二極化する政治が招く独裁への道―』で現代の民主主義の危機を解説した。ネット、SNSは大きな要因だった。
 *この他、ネット世論操作が民主主義の脅威となっていることはさまざまなに指摘されている。というか私はめちゃくちゃいろんなところに書いている。

・「普通の人」の劣化
 民主主義には力ある中間層が不可欠である。しかし、今世紀に入ってから中間層は大幅に減少し、上層と下層の二分化が進んだ。時間と経済的な余裕のある中間層でなければ、民主主義への参加と責任を果たすことはできない。
 (ブライアン・キャプラン)『選挙の経済学』で人は合理的非合理な選択を行うメカニズムを分析した。
 (Jason Brennan)『Against Democracy』で人を3分類し、理知的な判断を行える者は少なく、無関心な者が政治に関心を持つようになると、熱狂的に信じるようになるとした。
 (石戸諭)『ルポ 百田尚樹現象 ~愛国ポピュリズムの現在地~』で日本の「普通の人」の危うい状況を分析した。同様の分析はアンナ・アーレント、オーウェン・ジョーンズ、安田浩一などにも見られる。ユヴァル・ノア・ハラリは、「Useless」と呼んでいる。


『民主主義とは何か』(宇野重規)では包括的な議論をしている。ただ網羅的なため、個別の詳細には深く踏みらず、史的展開に重きを置いている。力作で一読をお勧めする。

今後の可能性として、「普通の人」の暴走が予想できる。それは独裁者にうまく誘導される可能性もあれば、逆に過激な民主勢力となる可能性もある。かつてこうした変動の時代に、人々は武器を持ち、行進した。時代を経てデモやストライキ、団体交渉などに形が変わった。現代の「普通の人」の武器は、サイバー空間のものになるだろう。ランサムウェアを始めとするマルウェア、アノニマスのようなサイバー攻撃などなど、匿名で強力だ。(https://www.newsweekjapan.jp/ichida/2020/11/post-15.php)に書いたように誰も手軽にその武器を手にすることができる。

ところでなぜか社会的選択理論が話題になることはきわめて稀である。投票を始めとする意志決定のメカニズムの基本なのに、この冷遇はどういうことだろう?


本noteではサポートを受け付けております。よろしくお願いいたします。