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ペルソナコレクション

哲学的な、答えのない問いについてひたすら考える時間が好きだ。

特に、
「本当の私はどこにいるのだろう」
この疑問とは、多分小学生の頃からの長い付き合いだと思う。

相変わらず、しっかりくっきりとした答えは出ていないけれど、20歳の私の考えをここに残しておこうと思う。(そもそもこの手の疑問に明確な答えなどなく、自分が一番納得のいく考えがその人の正解なんだと思う)

結論からいこう。

本当の私なんて存在しない

そもそも、私の探している「ありのまま」は何を持ってありのままなのか。

人間変化していく生き物だ。生きている限り良くも悪くも変化がつきまとう。
容姿に関しては勿論だが、精神的にも、1日たりと等しく同じ私は存在しないし、何気無く聞き流していたラジオ、家族との会話、暇つぶしの漫画だって私に影響し、常に新しい私になっている。
真っ白な純粋な赤ちゃんの頃には、何があっても戻れない。

その中で唯一変わらない不変の私なんて存在するのだろうか。

人が時と場に応じていろんな自分を使い分ける。それを仮面と形容するらしい。

私も無数の仮面を持っている。家での仮面、大学での仮面、バイト先での仮面、noteでの仮面など。どの仮面もその場のみんなに好かれようと、うまく立ち回れるように拵えたもの。では仮面をしていないときはあるのか。。。

それがびっくり、無いのだ。

だって私は、自分自身にも仮面をつけて向き合っている。
とびっきり甘やかしたいときだってあるし、なんだか自分にイライラして許せないときもある。本当に驚くほどいろんな性格の私が私に向き合っていて、そのどれも確かに私で間違いないのだ。

これを認めることができたのは割と最近で、少し前の私は結構真剣に悩んでいた。
付き合う人や環境によって性格を変えるのは、誠意のある対応だろうか、嘘の塊なんじゃ無いだろうか。そんなことを考えて悲しい気持ちになることが多かった。

その場をうまく切り向けるための仮面をかぶった私は、無理をしていて窮屈なんじゃないか。自分の本心に嘘をついているのでは。こうも思った。

思えばこの時が1番「本当の私」に敏感な時期だった。嘘つきな自分を信じたくなくて、「ありのまま」を神格化して執着していた。

でも、ある日全部自分なんだと思った。
うまく言えないけれど、空気を読むのは無理をしているわけではなくて、自分の居場所を守るための防衛法だし、「本当の私」にこだわって生きている方がよっぽど窮屈だと思った。

今まで作り上げて来た仮面全部抱きしめて、みんな私。
嘘なんて1つもない。

最初に「本当の私なんて存在しない」と書いたが、あえて言い換えるのであれば、

偽物の私なんていない。全部が本当の私。

ここまで書いて迷走した感が否めないが、なかなか興味深い題材なのでまた定期的に考えていこうと思う。

日々変化する私の思考は、いつかまた「本当の自分」を探し出そうとするかもしれない。でもそれまでは堂々と、胸を張って、仮面をコレクションしていこう。


今回この記事を書こうと思ったきっかけの記事です。
みうさんの記事は知性と感性に溢れていて、じっくりと何度も味わいたくなってしまいます。中毒性あり。


文章を書くたびエネルギーを使います。そんな時私の体はチョコレートを欲するので、おそらくチョコレートを買わせていただくかと思います。