好きは一種の呪いである

あなたにはとてつもなく大好きなモノはあるだろうか?

私にはある。

その気持ちは私を動かす原動力となり、その気持ちのもと動く私は、たまに自分でも驚いてしまうほどエネルギッシュな行動に出たりする。

その気持ちがあるから、多少の無茶もめげずに頑張ることができる。

「好き」という気持ちは偉大だ。


ただ、ときにその気持ちは呪いのようだと感じることがある。

いったん「好き」と認めてしまえば、それが私自身に絡みつき、いかなる時も
「好き」を肯定させようと離さない。

例えば、走り続けて疲れてしまった時、周りの視線や評価が気になって前のように行動できなくなった時、「好き」でいることに疲れてしまった時。

「好き」は私に執拗に付きまとう。

好きなんだからできる

好きなものをしていれば幸せ

それを嫌いになったらお前に何が残るんだ。。。


そういう時、私は無理をしてでも「好き」から離れるようにする。

それまでの自分を否定するようでとても怖いけれど、勇気を出して一回離れてみると案外すっきりする。

それを「好き」な自分にこだわっていた私に気がつく。

そうしてまたしばらくすると、一番最初と同じように、純粋に心惹かれ、楽しいという気持ちとともに「好き」な気持ちが戻ってくることがある。

その時はまた、その気持ちを抱きしめて毎日を過ごしていけばいいのではないだろうか?
例え、また呪いにとらわれるようになったとしても。。。


この気持ちとの上手な向き合い方を私はまだ知らない。

文章を書くたびエネルギーを使います。そんな時私の体はチョコレートを欲するので、おそらくチョコレートを買わせていただくかと思います。