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友人と会うこととクリエイティブ

・良い週末を送れたので文章に残しておきたいと思った。

・別の記事で書いているように、私は昨年都心から地方に引っ越している。引っ越した地方には友人がいないため、なんとも寂しい生活を送っていて何度もnoteにそのような内容を残していた。
しかし、先週末は都心に戻って友人と何人か会えた。とても充実している。

人の時間と自分の時間とのバランス

・友人と長い間過ごして充実している心とは対象に、「ひとりで考える時間が欲しい」と言う欲望がふつふつと湧いてくる。私はnoteを書くような人間なので、自分が自分をと向き合い形にする時間は重要視している。しかし、人と会ってエネルギーをもらえる素晴らしさも両方大事にしたいのである種欲張りだ。

・就寝前、「1人で考える時間」が欲しいので思考を巡らせるのだが、人と会って活動した分だけ疲れが残るのでスッと寝れてしまう。
そういった時に、「もうちょっと1人で考えてたい」という気持ちとともに起床するのだ。そういった感覚には真剣に向き合いたい。

個人的な友人関係

・この数日会って長い間時間を過ごした友人たちは、誰もが気を許せて大切にしたいと思う、良い友人たちだ。良い友人であるのにも、こうも「1人で考える時間」を求めてしまうのは、アウトプットができていないからかもしれない、とふと考えた。

・友人の価値観、最近の近況、性格や気配りなどその人自身の持ち味、そういった十人十色の個性が好きで、私は友人を多く持つ方だと思う。
お互いの価値観の話もするし、建設的な話の内容ではありたいし、その人1人にしか話さない話もあるし、浅く広くの付き合いではないのは説明しておきたいが、友人関係はある種インプットの機会が多い。

・相談や愚痴などはアウトプットの類に含まれるような気もするが、どちらも友人の相槌や意見など、インプットに繋がるものになると思う。
愚痴など酒の勢いで内なるモヤモヤをぶつけるだけのアウトプットの場にするのは、なんだかもったいないと言うか、人の替えが効く「壁打ち」のようなものだと思うので、あまり好きではない。

・私にとっての正しい友人関係ができると、そういった場はインプットの場となるので、こうやってnoteを書いたりアウトプットの時間を必要とするし、アウトプットに至るまでの検証の時間がないと自分が自分でいられなくなる感覚がある。

友人のパワーを生かしたい

・なぜここまでにも、「友人と会う、遊ぶ、終わり」などと切り替えをせず、こうも1000文字も書いているかというと、友人と遊ぶだけ遊んで楽しんで、そこで得られたパワーを形あるものに残せなかったなと思える時期があったからだ。

・上京して初年度あたりは、毎週末、更には平日の夜など金銭と時間が許せる限り、人と会うことが何より大切に思っていた時期があった。
月何人に会ってるんだ?と言うぐらい、様々なコミュニティの友人と幅広く会っていた。どちらかというと大勢いる場に顔を出すと言うよりは、その中の1人とか2人などとサシで遊んでいることが多かった。

・私はいくつか趣味があるので、遊ぶ時には趣味を友人と共有したり、いい食事かできるところを探して行ったり、遠方に行ってみたり、本当にそれぞれの関係に合わせた遊びをしていたので、かなり有意義だったし、その時会っていた友人とは今だ付き合いがある人は多い。

・ただ、心残りがあるとしたら、上記で話したような「アウトプット」の時間がちゃんと取れたかと言うのは、数年経った今の反省点ではある。

・もちろん1人で出かけたり、趣味をしたりなど1人の時間を取れていたはずなのだが、友人たちからもらったエネルギーをリフレッシュ(それもマイナスに働いている事項をプラスに持っていける使い方)だったり、現状うまく行っていない自分を肯定してもらえるような、心の安心材料だったり、お守りだったり、そういったエネルギーの使い方になっていたと思う。

ただ、思い出とカメラロールの写真の枚数が増えていくだけで、形に残らないエネルギーは勿体無いと思い始めたのが最近だ。

・友人たちを大切に思ってるからこそ、生かしたい。

やはり形に残すことにこだわりたい

・言いたいことそのままに書き残しているnoteだから書くが、現在休職中である。それでも、デザイナーという職やイラストレーターは一生続けていきたいと思っているので「アウトプット」を最重要視している。

・クリエイターとして面白い話なのが、生活や心が満たされると創作が捗らなくなる。枯渇している気持ちがクリエイティブを促進させているので、「物足りない」を自発的に作り出すのも仕事のうちだと思っている。

・しかし友人たちに会うと心のうちが満たされる。
体感的には、創作しているときの心の満たされ方と質が似ていると思っていて、心の中のコップの水の水位を上げるために、人間は物を作ったり、人に会ったりしているんだと思う。

・実際、友人に会って心が満たされている私は、友人に会いたくても会えない時期に比べてクリエイティブ力が落ちているように思う。
なぜなら、満たされ、クリエイティブによって自分を満たさなくても心の安定があるから。

・それでも、満たされても、クリエイティブを止めたくないと思ったのが今日。クリエイティブを止めず、友人も大切にできる「エネルギー変換装置」のようなものを現在模索している状況だが、解決案はうっすらと浮かんできた。

・友人らから貰った大事なエネルギーを心の安定のための燃料として使うのではなく、別の何かに昇華させる。
そしてクリエイティブをし続けるために、心の枯渇感を意図的に作り出し、良い制作物ができるように1人で考える時間、1人でいる時間を確保する。

・よく、成長したいなら孤独であれと言うが(アーティストの岡本太郎さんなど)、Z世代である私からすると新たな価値観も生まれて良いのではないかと思う。
自分が大切に思うもの。例えば今回の話で言うと「友人」「クリエイティブ」のような反対方向に働く力があるものも、機械のプログラムのように上手く基盤を組めば、どちらもブースターとして同じ方向に力が加わるような、そんな考え方を編み出したいと思う。

・何かのために何かを犠牲にするという一般的な価値観ではなく、両方が生かしあえる、そんな価値観も未来にはあって良いのではないか。
誰しも価値観を変えていけという、そういう強要は全くしたくないが、少なからず、自分は価値観や仕組みを変えていきたいと思っていて、ここまで文章を書いた。

・そのためにも、メモ帳やスプレットシートとは違う、人に見られる緊張感のあるnoteは本当に貴重な存在であるように思う。
(たまに緊張を超えて、自意識が強い状態でガチガチに固まって自分らしい文章や表現ができないこともまだあるが)

・今日もnoteありがとうの気持ちで記事を締めたいと思う。

おまけ


・横浜赤レンガ倉庫で行われていたGreenroom Festivalに6年来の友人と行った。上手く言えないがすごく、、よかった。

・海風、音楽、アート、ショップ、床に敷かれたカーペット、お酒、ご飯…
音楽フェスは基本、音楽と会場を用意したので自由に楽しんでいってください!と言うスタンスが多いように思うが、今回は立地も環境も含めて至れり尽くせりのような贅沢な環境にあったように思う。

・環境保全とかサーフカルチャーを守るための活動を全面に出しており、どっしりとしたコンセプトが成り立っていたのも感動を覚えた。
協賛会社もどれもが立派で、「音楽で人を集める」を目的としているのではなくて、集客や金銭などをはるかに超えた目標がブレずにあることに気づいて、目から鱗の連続だった。

・秋にも行われるので、皆様も機会があったら是非。

秋→https://localgreen.jp/
私が今回行ったもの→https://greenroom.jp/

2022/05/31

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