美しく年老いたい

こんにちは。
元々非ウェイのためコロナ禍でもさして苦に感じていないhondakouichiです。
人混み減ったのうれしいし、人とべったり一緒にいるのは得意じゃないし、でそんなに生活変わっていません。

さて、すごく感覚的なお話になるんですが、ちょっと最近不思議な感じがしています。

というのは、すごく著名な方で、人望もある人が、どうしたの!?と思うような言動を繰り返している。

また、コロナは風邪だ!陰謀だ!と現実を明らかに拒否するような人々が現れている。

これってすごく不思議な現象だなと思うわけです。

今回前者の方についてお話ししようと思うので、よろしければお付き合いお願いします。

誰を指しているのかといいますと、
高須!クリニック!

高須克弥先生です。
重度のツイ廃(失礼)で有名なあの高須先生です。
西原先生との関係でも有名ですね。事実婚状態というんですかね。

さて、高須先生、森さんの差別発言についてツイートされてまして、それも話題を呼んでいます。
「オリンピックは元々女人禁制だったんだし、森さんいじめるのやめてあげてよ」
こんな内容だったと思います。詳細は元ツイートをご参照ください。

まあ、お察しの通り、

火にガソリンぶっかけてニトログリセリン投げ入れてますね!!

なぜ鎮火すると思った!?
ちょっと詳しく説明してくれる?!まずガソリンどっから出した?

ストライク投げてるつもりなんですかね、本人は。
実際は鳩尾にストライクのデッドボールなんですが。

元々女人禁制というならオリンピックは素っ裸でオリーブオイル塗ってやるべきですし、種目も柔道だのテニスだのサッカーだの、人気のあるやつ軒並み邪道ですね!

まあ反論はさておき、私がそのツイートを目撃して真っ先に思ったのは、

高須先生ともあろうお方がなんでこんなアホなことを????

でした。

ただただ不思議。

森さんの擁護にもなっていないばかりか、ご自身の見識まで揺るがせている。

ほんで、こういうときに口だしてもろくなことにならんのですよ。

本人が誠意をもって説明するしか鎮火させる方法なんてない。
それでも批判は続くでしょうが、それは甘んじて受けるしかない。

正直にいいまして、本当に訳がわからない。
なぜ擁護に乗り出したのか、その内容が擁護になると思ったのか、女人禁制のくだりは本気で思っているのか、まずいと思わなかったのかなどなど、一から十まで訳がわからない。

せめて女人禁制のくだりはとるべきだった。批判は免れないにせよ質はかなり変わったはずです。
(なお、森さんの擁護をしたいならせめてこうするべきだった、という意味です。ツイートの内容については擁護部分も含め全反対です)


さて、もう一人言及したい人物がいます。
デヴィ夫人です。
大規模パーティー開催して批判を浴びたのは記憶に新しいと思います。

デヴィ夫人が
「感染対策しっかりしている方ばかりですから大丈夫!!」
と反論していたのですが、

大規模パーティーに出席する時点で感染対策への意識はガバガバな方ばかりですがそれは

カルタまで作った都知事が草葉の陰で泣いています。

こと医療にかかわることで100%安全なんてあり得ないですから、大丈夫と断言するデヴィ夫人の見識も透けてみえますね。

これも意外でした。
微塵も反論になっていませんし、それで押しきれると思っているのでしょうか?
ただただ不思議。
パーティーやりたかったんです!と言った方が断然マシです。

そして、意地になればなるほど引いてしまう。

感染対策を考える上でまずいことだというのはただの事実ですしね。全員マスクを片時も離さずつけていれば濃厚接触者にはなりませんが、そんなパーティーあります???
食事も飲み物も出なかったってことですかね?
せめて水はほしくなるでしょうしね。
一万歩譲ってそういうパーティーだったなら、それを説明すべきです。感染対策しっかりしている、の具体性がなにもない言葉では…。



批判がメインではないのでこの辺で。
この現象がすごく不思議な感じがします。

なんでそれで納得する思うたん????

ということが多いです。
案の定批判が収まっていないようですし。

ふと思ったのは、ロシアのエカチェリーナ大帝が、孫のアレクサンドルの教育係にラアルプをつけるほど啓蒙主義を愛しながらも、晩年フランス革命が勃発した際、ロシア国内の混乱を恐れ言論を押さえつけ、啓蒙主義についての書物の焚書に踏み切ったことでした。

啓蒙主義を突き詰めた結果の産物であるフランス革命、主権は市民にあるという革命を彼女は受け入れることができなかった。
彼女はあくまで神に選ばれた統治者であり、決して市民と自身を同じ人間だと思っていなかった。

だが、時代は彼女を置いて変わっていった。

学問をこよなく愛したエカチェリーナが晩年焚書を行った。

心して老いよう、と切に思います。

老いてなお変化を恐れない勇気ある魂であれ、と。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?