「Arctic Eggs」 レビュー 〜カンピロバクターには気をつけろ!〜
いつも通りの長い前書き
料理がうまそうなゲームが好きだ。
「料理がうまそう」と聞いて私が真っ先に思い浮かぶのはヴァニラウェアのゲーム、FF15、モンスターハンター等だが、生まれて初めて「料理ゲー」を認識したのは「エリーのアトリエ」だと思う。
アトリエシリーズは錬金術師の主人公が薬を調合するゲームだが、パンやヨーグルト、カステラなども作ることができる。
しかし、それらは最終的に主人公のエリーが大好きなチーズケーキを作るための布石でしかなく、このチーズケーキを作るのがとんでもなく大変なのだ。
チーズケーキの調合の割合はプレイ毎に変動するので正解のレシピがない。
頑張って作っても出来が悪いと納得のいかないエリーはチーズケーキをすぐ捨てる。
エリーのアトリエはチーズケーキ捨てゲーだ
小数点単位の調合率を気の遠くなるほど試し、エリーが納得いく(捨てない)チーズケーキを完成させる。
エリーのアトリエをやり尽くした者は誰もが最終的に辿る道だろう。
例に漏れず私もこの作業に途方もない時間を費やした。
※※※前置きが長いのが自分のレビューの特徴です※※※
料理がうまそうなゲームが好きなのと共に料理が不味そうなゲームも好きだ。
特に近未来SFものやポストアポカリプス、サイバーパンクの世界などをテーマにしたゲームは不味そうな料理どころか「食い物じゃねえ」と思うものも出てくる。
PS版FF7のスラムで提供されている料理は全体的に「なんか不味そう」と感じたものだ。
話は更にゲームから脱線してゆくが、私の好きな映像作家に「ヤン・シュヴァイクマイエル」という人がいる。
実写とストップモーション・アニメーションを組み合わせた不思議な映像を作る人で、彼の作品には非常に多くの「食」に関するものが出てくる。
これがもう、とんでもなく不味そうだし、表現が不快なのである
料理表現の汚さを競ったらヤンの右に出る者はいないだろう。
この表現は子供時代のトラウマが元になっているらしく、食が細い少年だったヤンに、両親が無理にでも食べさせようとしていたことがきっかけらしい。
御年89歳の巨匠だが未だに食べることが好きではないとか。
また前置きが長くなってしまったのだが、ゲームや作品における料理表現は世界観を構築するだけでなく、製作者の心理的なものも作用すると感じているので、うまそう、不味そう、含め注目してしまう部分なのである。
「Arctic Eggs」とはどんなゲームなのか?(※若干のネタバレを含みます)
舞台は2091年の南極に築き上げられたディストピア感あふれる街。
主人公は元兵士だったようなのだが、このディストピア都市から脱走を試みようとして失敗したらしく、料理と歩行だけができる身体へ改造されてしまった。
しかしながらどうしても南極から出たい主人公。
そのためには街を支配しているであろう「六胃聖」と呼ばれる存在に認可を得なくてはならない。
「六胃聖」に謁見するために出された条件は、南極にいる人々の腹を満たすということだった………
この世界において卵や鶏関係は違法だそうなのだが、主人公は「鶏売り」と呼ばれる存在で、主に卵料理を人々に振舞ってゆく。
街の至る所にニワトリはいるし、目玉焼きを堂々と住人が食べていることから、卵は「黙認」されている違法ドラッグのような存在で、主人公は売人っぽい立場なのかな………と想像する。
住人から「お前のような鶏売りにはなりたくないね」と言われていることから褒められた職業ではないことは確かだ。
ちなみに先代の「鶏売り」は長続きしなかったらしい。
空腹の住人に話しかけると調理が開始され、フライパンの上に卵や食材が落とされる。
物理演算で制御された食材の数々をフライパンの上で落とさないように焼いてゆくのだが………これが難しい!
マウスの細かな動きが要求され、マウス操作に慣れてない自分は、ゲーム始めたては驚くほど上手く焼けなかったので
「これクリアできるかな」
という不安に駆られるばかりだった。
マウス使いのFPSプレイヤーはこのゲームめっちゃ得意なのでは?という考えが頭の中を過ぎる(「Arctic Eggs」はコントローラーでもできるらしいです)
しかもこの世界の目玉焼き、両面焼きがデフォルトらしく必ずひっくり返してよく焼かなければならない。
住人全員オボムコイド(卵白)アレルギーなのかもしれない。
かくいう私もオボムコイドアレルギーで、卵白を生で食べると盛大に腹を下すので両面よく焼き派だ。
不思議なもので、何回かフライパン捌きを見せているうちに確実に自分の腕が上がっているのを感じる。
「13本のタバコと目玉焼きを一緒に焼いて」というクレイジーな依頼をやり遂げた時には「なんかこのゲーム得意かも」という謎の自信まで湧いてきてしまった。
ちなみにタバコフレーバーの目玉焼きは美味しいらしい。
んな訳あるか
煙草の他にはベーコンやソーセージ………は、良いとして、魚の缶詰(缶のまま)、ビール(瓶のまま)、ウィスキーグラス、フグ、エイなどなど「手当たり次第なんでも炒める」という具合だ。
「鶏売り」は差別的な扱いを受けているので、嫌がらせも入っているのかもしれない。
個人的にウィスキーグラスが加わってから難易度がぐっと上がったように感じた。
グラスには氷が入っており、中身をこぼさないよう卵をひっくり返す必要があるからだ。
「難しい」と書いたが実は難易度については自分で調節できる。
フライパンを「中華鍋」にすれば底が深いので食材が落ちにくくなるのだ。
かくいう私は、途中までノーマルフライパンで挑んでいたが、どうしても数箇所だけ中華鍋にしてしまったところがあった。
G(ゴキブリ)の存在である。
「生きたゴキブリも一緒に炒めてくれ!逃がさないようにな!」
正気の沙汰ではない
私は現実世界では本当にGが苦手だが、ホラー映画やホラーゲームが好きで、そういったものに虫表現はつきものなので、フィクションにはある程度耐性がある。
なので一瞬怯みつつもフライパンを動かしていたが、Gをフライパンの上から逃がさない方法が「程よくひっくり返す」だと気づいた時に問答無用で中華鍋にチェンジしてしまった。
だってGの裏側をずっと見てなきゃいけないんだもん。
早くこの作業が終わってくれ!!という気持ちしかなかった。
ローポリゲーなのでそこまでリアルではないのだが、まあ気持ち悪いことに変わりはないので耐性がない人にはマジでお勧めできない。
「Arctic Eggs」の世界観で感じたこと(※結構ネタバレを含みます)
「Arctic Eggs」には多くの種族が存在する。
普通の「人間」
主人公のような「肉体改造人間」
「ロボット」
「イルカ」
「クジラ」
完全ネタバレになるので多くは語らないが印象に残っているシーンがあるのでひとつだけ。
桟橋に腰掛けた老人が
「息子が死なせてくれない、私の体を取り換え続けている」
「息子はほぼ全身取り替えられた、それでも食欲はある」
「次は舌を取られる、食べられるうちに食べないとな」
そう言いつつも、料理を振る舞ってあげると桟橋の下に身投げして自殺してしまう。
主人公の作った食事が、老人にとって最後の晩餐になってしまったというわけだ。
ここで注目したのが
「息子はほぼ全身取り替えられた、それでも食欲はある」
という部分なのだが…「ほぼ全身取り替えられた」というのは主人公のような改造人間だろうか?
これはちょっと違うのではないか、と思っていて、「ほぼ全身取り替えられた人間」=「ロボット」なのではないかと考える。
この世界にいる「ロボット」はゴキブリ料理を注文してきたりなど、相当狂ってるのだが、なぜか食欲はあるのだ。
ロボットは多くが檻に収監されていることから、手のつけられないほどおかしな状態になってしまうのかもしれない。(実際そういった状態のロボットがいた)
老人が身を投げた理由として、「長生きしすぎた」というのもあるのかもしれないが、「ロボットのようになりたくない」という気持ちの表れなのかもしれない。
これは現代社会における「延命治療」のメリット、デメリットについて切り込んでいるように思えた。
最後に
「Arctic Eggs」はフライパンで卵や食材を焼く操作の楽しさがあるのと同時に、深い世界観やテーマ性を持ち合わせている。
またゲームを終えれば「食」を通して制作者が伝えたかったことが自ずと見えてくるのがなんとも感慨深い。
ただの奇ゲーと思うなかれ
さて、今日の朝食は目玉焼きにビールとオイルサーディンをぶち込んで焼きましょう!
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