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ひとり泣きと、わたしかわいそう泣きの話

比較的、よく泣く。ヒューマンドラマや映画を見て、ひとりでボロ泣きするのが割と好きだ。

少しひねくれてるから、「日本中が涙した」みたいに最初から泣かせにかかってくる作品は、あまり好きじゃないけど。


作品を見て存分に泣くのはクセになっていて、ひとり旅行の飛行機でも、ボロ泣きしてしまうから困る。学生のときに飛行機で『ベイマックス』を見て、隣の席の人に気づかれてたかもな、と思うくらいには号泣した。

残念なことに、「泣く」という機能は自分のなかで垂れ流しの仕様らしい。作品を見たとき以外でも、ひとり自責や無力感、やるせなさにかられたときには、ところ構わず涙が出てくる。

電車で泣けてきたことも何度もあって、ぽろっと静かに泣く術を身につけた。鼻すすったりとか音を立てることもあまりないし、周りの人も気づいてはないと思う。でも、「え、この人泣いてる……」ってギョッとしつつ、見ないフリをしてくれた人もいるとしたら、ただの迷惑。すみません。


電車で泣くのはあれだけど、そんな風にひとりで泣くのと、誰かと向き合っている状態で泣くのは、少し種類が違う。相手を前に泣くときには、ときに「泣くことで相手の言動を変えよう」という意図もあったりする。

それで思い出すのが、「泣けばいいと思ってるの?」という言葉。子どもの頃に親に怒られて泣いたら、そう言われた。別に同情を引こうとしている訳じゃない。どうしても自力で涙を止められないだけなのにと、子ども心に思った。

大人になった今も、相手を前に泣けてしまうことがたまにある。

それでも、泣くという感情表現で相手を支配するのはズルだ。だから、相手を前にボロボロ泣けてくるときには、一旦その場から離れるのが正解なんじゃないかと、今のところは思っている。


誰かに腹立つことや傷つくことを言われたとき、「泣かないぞ」じゃなくて「泣いてやる!」的に泣く人も、いるんだろうか。いる気がする。

わたしは覚えている限りで1度、「涙出てきたから、このまま泣いちゃえ」とボロ泣きしたことがある。相手にそのつもりはなかったかもしれないけど、どうしようもなく責められたと感じたときに、「わたしかわいそう」って自分に酔ったみたいに、当てつけのようにボロボロ泣いた。相手は腹立たしかったろうなぁ。

「わたしかわいそう泣き」は少し気持ちよかったけど、やられる方は腹立つだろうし、乱発すれば人間関係を壊しそうな予感さえする。多用は厳禁。


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