見出し画像

録音越しに聞く自分の声に思うこと

取材の仕事では基本的にICレコーダーを回していて、書き起こしのために一通りインタビュー相手との会話を聞き直している。取材音源を聞きながら自分の質問の仕方を反省することもあるけれど、自分の話し方や声のトーンが気になることも多い。逆に、知り合いとの会話もしくはテレビやラジオで誰かの話を聴いている場面で「この人の声や話し方好きだなあ」と思うことがあって憧れる。生まれ持った声質というのもあるけれど、話し方は癖とか習慣で作り上げられるものでもあるはずで、自分の話し方をどうにかしたいと思っているところ。録音されな自分の声を聞くことにはなれたけど、いまも自分の話し方は好きになれずにいる。

思い返せば、録音された自分の声を初めて聞いたのは、放送部に入った中学1年生のとき。放送部はお弁当の時間に流れる校内放送を担当していて、新入部員が“校内放送デビュー”をするには、先輩たちの前でアナウンス原稿を読み上げるテストがあった。テストに合格するため、新入部員は放送室で原稿を読み上げてカセットテープに吹き込む。そのテープを聞き返して、滑舌など至らないところを練習するのだった。

初めて自分の声を客観的に聞いたときには、あまりの違和感に思わずひいい、と声をあげてしまった。録音テープから流れる声は、自分が思っているよりも高くて子どもっぽくて気持ち悪くて、衝撃だった。それでも何度も自分の声を聞き返し、安定して原稿を読めるようになっていくうち、録音で聞く声にも慣れていった。「あいつの声うるさいよね」と意地悪を言われた通りやすい声質も、悪くないと思えた。

その後、テストに合格して校内放送を担当できるようになったものの、学年が上がって放送コンテストに向けた練習が始まると、わたしは再び壁に直面した。どんなに原稿を読む練習を重ねても、なかなか治らない癖があった。なかでも強く記憶に残っているのが、語尾が強く威圧感が出ることだった。やさしく読もうとしても、どうしても語尾がキツく聞こえる。自分のガサツで意固地な性格が表れているように思えてならなかった。 

今でも、ふとした瞬間に語尾のキツさや自分の話し方が気になることある。取材音源を聞き返したときや、親しい人と話しているとき。逆に、取材だと堂々と振る舞えずに語尾が小さくなっているのが気になることもある。

必ずしも話し方に性格が出るとは思わないけれど、話し方で性格を判断されることは大いにある。話し方ひとつでその場の雰囲気が変わることも取材を通して実感している。自分の声をひたすら聞き返しては話す練習をしていた中学時代みたく、また話すことと向き合ってみたいと考えているこの頃。

スキやコメント、SNSでのシェアうれしいです。ありがとうございます。いただいたサポートは、本、映画、演劇、寄席など自分の好きなものに注ぎ込みます!