朝の概念と誰かのブログ
ここ1週間くらい、朝という概念を失った生活をしている。明け方に寝て、起きたらお昼近くになっている。
4月くらいは自分のダメさに絶望して仕事手つかずだったのが、もはや絶望しきったのか開きなおって、そこそこ仕事に向かえるようになった5月。それでも注意散漫で、なかなか仕事ははかどらない。
以前は、夜更かしして深夜に原稿を書いていたりした。それがここ数日は、深夜から明け方近くまで起きて仕事するでもなく、眠らずにただ本を読んだり、ラジオ聴いたり、スマホでバラエティ番組を見たりしている。
昨日の夜は、ある人のブログを読んだ。その人は書く仕事をしている訳じゃないけれど、その人の日記みたいな文には嘘がなくてどこか微笑ましくて、わたしには、誰かに読んで楽しんでもらう気持ちが足りてないんだよな、としみじみ思った。
人のブログとかって、つい遡って見てしまうことあるんだけど、気持ち悪いかなって思ってあんまり人には言えない。
この前noteに感情の振れ幅の話を書いたけど、人と会ったり、同じ空間や時間を共有して見たり聴いたりする体験をしていないと、感情の振れ幅はどうしても小さくなってしまう。
家でひとり過ごしながら、心が揺さぶられるような経験をするのはなかなか難しい。日常生活に目をこらすようにして過ごしてみても、なんだかなぁ、という気持ちになったときには、映画やドラマやテレビ番組、本とか、そういうものが救ってくれる。
そのなかでも、本とか誰かの書いたブログや文章は、ただ受け手になるんじゃなくて、そのときの自分に必要ななにかを見つけてそれに触るような、そんな感覚がある。映像でなく文字を見ることで、自分で考える余白をくれるからかもしれない。
つまりは、文章ってそういう魅力があるから、深夜でもおかまいなしに没頭しちゃうのかな、なんて。とはいえ、そろそろ朝を取り戻したい。
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