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「説明言葉」を減らす勇気

誰かとの会話中、よかれと思って意識的に言葉や説明を補足してたつもりが、逆効果になることもあるのだと身をもって知った。

きっかけは、好きなひととの電話で「ちょっと話が難しかった」「よくわかんなかった」と言われたことだった。

みんながみんな、わたしの話を下手と言うわけじゃない。むしろ今のところ、話がうまく伝わらない現象は、そのひととの会話くらいでしか起こってない。とはいえ、相手は好きなひとだし、やっぱり伝えたいことが伝わってほしいと思って、しばらく悩んだ。


彼いわく、わたしの話を一生懸命聞いているのだけど、というか聞いてるからか、ときどき何の話をしているのかわからなくなるらしい。彼は話の全体感を捉えるのが苦手だから、本筋と違う話が出てくると、そのまま横にフォーカスをずらしてしまう。結果、「あれ、さっきまでAの話をしてたのに、今はBの話?言いたいのはこっちの話だったのかな?」となるのだった。

この伝わらなさは、彼の性格とか性質の問題もあるけれど、わたしの話し方のせいでもあると思った。

わたしの話は、途中で前提条件や関連する話を挟み込んだりすることが多く、オチというか話の終わりにたどり着くまでに時間がかかる。どうやらそれが話をわかりにくく、伝わりにくくしてしまうようだった。

たとえば、これはあくまで例だけど、遠いところに住んでいる友達(=前提条件を共有できてない人)に「今日は、近所で話題のケーキ屋さんにいったよ」というオチのない話をするとき。わたしは、なぜそのお店が話題なのかについてや、なぜケーキ屋さんにいこうと思ったのかを話す。「そのケーキ屋さんでバイトしてる人が友達でね、仕事をきっかけに出会った人なの。ケーキ屋さんの特集企画の取材があって……この前話したけど覚えてる?」とか説明を付け足し始める。

要は、本筋を語るための前提条件や説明が過剰なのだ。

こんな風に「説明言葉」が増えていく現象は、相手を思うからこそ、そして伝えたいという気持ちがあるからこそ起こるように思う。たとえば前提条件が違う人と話すときや、丁寧に伝えたいときや、わかってもらいたいと思うとき。よかれと思っているから、なおさら厄介だ。

もちろん「説明言葉」が、ときにものすごく重要な役割を果たすことはわかる。でも、前提条件や補足を伝える言葉は、相手の理解を助けるレベルで使うからこそ意味がある。相手の理解を妨げてしまうなら逆効果だ。

話がうまいひとは、この「説明言葉」を相手に合わせてちょうどいい具合に使いこなせるひとに違いない。

そんな話し上手なひとに対して、「説明言葉」が過剰になりがちな自分。好きなひとになんてことないエピソードを聞いてほしいときも、仕事の取材で質問するときもそうで、過剰に言葉を付け足してしまう。

でもそれって、「ちゃんと伝わるように」と相手のことを配慮しているように見えて、実はそこまで言わないと伝わらないと思っていること、つまり相手を信頼しきれてないことが反映されてるんじゃないかと思えてきた。

きっと自分が思ってる以上に言葉は伝わるし、相手にはそれを受けとめるだけの理解力がある。そして言葉がわからなかったときや意図が伝わってこないときには、相手から「どういうことですか?」とか「こういうこと?」と聞いてくれるはず。もう少し言葉や相手のことを信じて、「説明言葉」を減らしてもいいのかもしれない。


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