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ごきげんな大人
自分で自分の機嫌をとれる人になりたいなあと、長らく思ってきた。気分に波があるタイプのわたしは、常にごきげんな人にはほど遠い。
ただ改めて「ごきげんでいる」を考えてみると、そこにはいろんな解釈があるように思う。
たとえば、子どもをみて思う「ごきげん」は、ルンルン気分で思わずスキップしてしまうような、うれしいことが溢れ出ているイメージ。一方で、大人が使う「ごきげん」は無邪気な上機嫌とはまた少し違って、イライラや不満や憂鬱を手放して穏やかな自分でいるイメージだ。
これまで何度か思ってきた「自分で自分の機嫌がとれるようになりたい」というのは完全に後者で、すぐに気分が落ち込んでしまうのをどうにかしたいという気持ちからくるものだった。
さらにいえば、大人にとって「ごきげんでいること」はいいことで、目指すべき姿という印象さえある。だからか、周りに不機嫌を撒き散らさずに自分で解決できるように、という文脈で使われることも多い気がする。
もちろん自分の気分のむらを周りにぶつけて不快な思いをさせるのはよくないから、気分をある程度コントロールして、ごきげんでいることは大切。
でも、わたしは周りの人を思って半ば義務的にごきげんでいることを目指すより、できることなら、うれしいことやたのしいことが溢れ出るような、それを自ら見つけていくような「ごきげん」を目指したいなと思う。
実際、そういう意味でごきげんな人といるときには、気持ちがパッとほがらかになる。そのごきげんは、コントロールじゃなくもっと自発的なところから生まれている。
いまの自分はというと、日々ごきげんでいるなんて全然できてない。それは、うれしいとかたのしいを見つける努力をしていないのも大きいと思う。
人生のさまざまな場面で、うれしい・たのしいを見出せるひとって素敵だ。そんなことを、田辺聖子さんの本を読みながら考えていた。ごきげんな人と聞いて自分が一番に思い浮かぶのは、自分にとって田辺聖子さんなのだ。彼女は、ごきげんという言葉がよく似合うし、それを体現したような人に思える。
彼女のように毎日ごきげんとまではいかないとしても、せめて能動的にうれしいとかたのしいを見つけて、できるだけごきげんな人生を送れたらいいなあと願う。
過去に悲観的かつ世の中に中指立てるくらいのスタンスで生きてた自分を少なからずまだ引きずっている気がするから、そろそろ完全脱皮して、ごきげんな大人になりたい。
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