大切な人の辛い場面で思うこと
「辛い出来事があったとき、周りにどうしてほしい?」と聞かれたら、「誰かに傍にいてほしい人」と、「ひとりの時間がほしい人」がいると思う。
この自分と相手のタイプの違いを理解するのは、案外難しい。
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例えば、わたしの友達は「ひとりにしてほしいタイプ」なのだけど、付き合っている男性は「傍にいてほしいタイプ」だそう。その彼は、わたしの友達によく「辛いことがあるなら、もっと頼ってほしい。電話でもしてほしい」と言うらしい。
でも、彼女にとって辛さから這い上がるために必要なのは、彼に電話して話すことじゃないのだ。それよりも、自分の時間が必要なんだと彼女は言っていた。
だけど、彼は自分のタイプを彼女にも当てはめてしまう。
「自分と同じように、彼女も誰かに傍にいてほしいはず」
と思うから、
「もっと頼ってよ」
「甘えてくれていいのに」
と言う。
この言葉が出てくるのは、相手のことを心底思っているからこそなのかもしれない。
ただ、相手には相手の必要なものがあること、自分と相手は別の人間だってことを、ちょっぴり忘れているんだと思う。
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大切な人が辛い思いをしているのを見るのは、自分も心苦しい。
でもその辛さはその人だけのもので、どうしたって自分では引き受けられないこともある。
それで、改めて相手と自分は違うんだよな、って気づいた。
自分がしてほしいことを人にするって、当たり前のようにやってきたけど、それはときに押しつけにもなりうる。
わたし達は誰ひとりとして同じ人間なんていないし、辛い出来事からの立ち直り方もそれぞれ違っている。最終的に立ちあがるのは本人でしかなくて、わたしは見守ることくらいしかできないんだよな。そう思うと、自分の無力さが悲しい。
でも、もっと悲しいはずの本人が前を向いて進もうとしてる。せめてわたしは、わたしをちゃんと生きるぞ。
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