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桃の節句と雛祭り

■桃の節句と雛祭り■

雛祭りの起源としては上巳の節句との関わりを挙げられる。
また、桃の節句とも言われることもある。
上巳とは三月の第一の巳みの日のことである。
三月三日を五節句の一つとして数えたのは江戸幕府であるが、
上巳という言葉自体は古くから認識されていたようである。 
中国から入ってきた文化と、
日本の文化が融合して今の形になっていますが、
陰陽五行説が基となっています。
昔の中国では
奇数が重なる 

悪いことが起こる 

厄を祓う 
という重日思想(じゅうじつしそう)から、
1月7日 人日の節句
3月3日 上巳の節句
5月5日 端午の節句
7月7日 七夕の節句
9月9日 重陽の節句
に、旬の植物から生命力をもらい邪気を祓う行事が行われていました。
桃の節句の原型の一つは川にヒト型を流して厄払いする行事です。

ヒトガタ


https://ameblo.jp/matsuriyacom/image-11783668449-12860230075.html

『年中行事抄』の三月三日の記事には「上巳日。御祓事。」として、
宮中で陰陽寮に撫物を用意し、祓いをさせており、
また、貴族階級においてもヒトガタ(人形)で体を撫でて、
自分の穢けがれを移し、川に流す行事が行われていたとされている。
この行為は中国でもともと行われていた上巳の節句の行為に近しいもので、
川で穢れた体を洗う行為が「 禊みそぎ」であり、
それをヒトガタに代行させたのが日本版上巳の祓といえるのである。
この二つが融合し、さらに平安時代に貴族の子女が行っていた
「ひいな遊び」という人形遊びと融合して
「雛祭り」へと発展したというのが由来として認識されている。 
https://ameblo.jp/matsuriyacom/image-11783668449-12860230073.html
桃の花や木には、邪気を祓い、百鬼を制する高貴な花とされ、
暗い冬を破って、明るい花を咲かせることからも、嫁ぐ娘の華やいだ美しさに例えられていたようです。

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