見た目に関してとやかく言われるのがムリな件

見た目に関していろいろ言われるのは苦手だ。

髪染めないの?
かと思うと、やっぱ黒髪が似合ってるよ!ってなったり。矯正しないの?脱毛しないの?エステにいかないの?ネイルしないの?ホワイトニングは?

そのうち、卵子凍結は?とか聞かれるようになるんだろうなあ。これは、見た目ではないけど。

美の追求。世間に言われる、こうあるべきという像。

そういう、見た目に関して相手がとやかく言ってくることについては、気にしないほうがいいと最近ようやく思えている。

日本では、顔ちっちゃいね!足長いね!とか、元々持ってるものに対しても、服装などと同等に評価すると思う。それは、自分で選び取ったものではないのに。

海外では、新しく染めたその色いいね!新しいそのヘアスタイルいいね!その服いいね!と言われる。

それは、その見た目をしている私、への褒め言葉にも聞こえるけれど、「その新しい格好を選んだ、その選択をした私」への褒め言葉に受け取れるから好きだ。
つまり、選択フォーカスなわけ。
だって、その見た目が、自分で選び取ったものじゃない、生来のものなら、ネガティブなことを言われても、こちらはどうしようもないことも多いもの。
そんなの分かっとるわ!ってなる。

生来のものでも、褒められるときにはあまり気にならないかもしれいない。

でも、〇〇しないの?と言われると、「していない私」、「それをしないと決断している私」への批判に聞こえることがある。特に、メンタルが揺れている時には。

それがもし髪染めないの?だったら、私の地毛の色は似合わないということ?なーんて考えてしまうかもしれない。

ネガティブすぎるのは分かっている。相手からしたら、「そんなつもりない」の一言で片付いてしまうんだろうなあ。

でも私は、自分が揺るがされる感じがするのだ。相手にそのつもりはなかったとしても。

二重だから言われなかったけど、一重に生まれていたら、アイプチしないの?と一度は言われていたと思う。

それは、生まれ持った私の見た目に対するジャッジだ。
生まれ持った姿の自分は、不完全なのだろうか。
世間に求められる美の基準に合うように、常にアップデートしていかないと、ダメなのだろうか。
そんなのコロコロ変わるのに。

何を美しいと思うかも一人一人違うのに、価値観を押し付けられている気もしてしまう。

シミ一つない肌か、日に焼けたシミのある肌か。
どちらかをより美しいと思っても、どちらも同じくらい美しいと思っていても良いはず。

筋肉のついた脚か。限りなく細い足か。どんなバランスが理想か。

私は、どちらかというと、自然に年を取っていきたいし、アンチエイジングよりも、グレイスフリーエイジングを取りたい。

だからか、日本の若者に求められる美の基準や、広告に対して、ケッ、と思っている

〇〇したほうがいいよ、と押し付けてくる人が周りにいないのは幸運だ。
そういう人こそ、こうあるべき、こうでないと美しくなれない、もっと美しくなりたいという考えに囚われているのかも。

何にでも言えることだけれど、自分がやりたいと思っていないのに、他人にやらされて何かをするのは面倒だ。

「○○しないの?」と言われたら。

「やりたくなったら、勝手にやります。」That's not your business!

それが、いつでも私の回答になる気がする。

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