「未熟な親」

精神科医の益田先生のYoutubeをよく見ている。精神疾患についてや、その対策、ベースとなる考え方など分かりやすい。

その中に『未熟な親』という動画があって、なるほど私の親は、まさに「未熟な親」だと思った。

「毒親」というにはちょっとちがう。でも「良い親」かと言われると、ちょっとどうなんだろうと思う部分もある。

そんなわけで、「未熟な親」という言葉とその説明がぴったりはまったわけである。

「親」はある程度大人であることが必要だと思う。

確かに私の母が私を生んだ時には、もう成人していて、仕事をしたこともあり、結婚していて、世間的に「大人がすること」のチェックボックスをたくさん満たしていた。

ただ、母は発達障害グレーゾーンな傾向がある。
私は言語の発達が多分かなり早い方だったので、小学校中学年から高学年には、母の聞き役になっていた。

母は、時間の逆算や、お金を計画的に使うことが苦手だ。

その一方で、母を評価すべきだと思う部分もある。

まずは、私に手を上げなかったこと。
母は、面前DVの経験者(父親が酒に酔って母親に暴力をふるうところを見ている)であるからして、暴力を振るうというのが子育てに入ってきてもおかしくない。

でも、そこは一度もしなかった。母の矜持である。

次に、私が生まれてから最初の5年は方針をもって頑張ったこと。
私は、小学校あたりから手がかからなくなったと思う。(風邪ひかない、成績が良くトラブルも起こさない)
だけど、夜泣きがひどくほんのちょっとした物音で起きる子供だったそうだし、母の育児は割とシングルになる前からワンオペだった。

やりはじめるととことんやってしまう母だからして、最初の5年はかなり頑張ったんだろう。それ以降は仕事との両立が難しかったから、私は割と放置だったが。

最後に、私がどうしても、どうしても話を聞いてほしいときは(ストレスを限界まで溜めにため込んだ時だけだが)話を聞いてくれたこと。

もちろん理解も共感も十分にしたとはいえないが。とりあえず聞く姿勢を見せたこと。大して会話のない家庭に育った母にしては快挙。
私もかなり時機を選んでいたし、毎日母の愚痴を聞いていたのだから、年に1回くらいは聞いてくれと、途中で口を挟ませない勢いで話したけれど。

子どもの話を丁寧に聞くとか、最近様子がおかしいな、とか気づける親ではなかった。自分のことでいっぱいいっぱいで、子育てに悩む暇もない状態だった。
けれど、母の育ってきた環境を考えたら、だいぶ頑張ったと思う。

やっぱり母は、「未熟な親」だったのだと思う。
そして、「未熟な親」と言われるだけではなくて、親というのはみな、未熟なのである。と、親になったことはない私が言ってみる。

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