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毒教師に担任された話③

私は人から言われたことをいつまでもひきずるタイプなんだろうな、と思う。

毒教師に言われて未だに残っていることがある。人に話してトラウマが減り、こうやって公開しても自分の中で問題なくなったのがかなりの進歩だ。

だって「そんなの大したことないじゃん。」と言われるのが怖かった。気にする方がおかしい、果ては気にしている意味がわからないと。

それは個人個人の考え方の問題、と自分が割り切れるようになったと思いたいし、過去の事象を少し客観的に見られるようになったんだと思う。


今回の話は少し戻って小学3年の時。確か3学期の終業式の日、教室で通信簿を一人一人渡されている時だった。

私の番が来て、担任の前にもらいに行った。そこで皆、ひとことずつ貰っていた。私はいいこちゃんだったので、ネガティブなことは言われないだろう、言わないでほしいと願っていた。

確か一年がんばりました、みたいなことを最初に言われた。前半は褒められたのかもしれないが、その後が私にはショックでこの時もやはり、覚えていない。

そのあと言われたのが、「でも本ばかり読んでないで、友達をもっと作りなさい」だった。


予期せぬ左フック、といった感じ。


言葉だけなら私を思っているようにも聞こえるし、後半は友達を増やしなさい、友達ともっと遊びなさいだったかもしれない。1番記憶に近いのが、友達を作りなさい、だが。 


私はその言葉に、二つのことを読み取った。一つ、担任は読書を良いものとしてみていないこと。読みすぎて友達から敬遠されることを心配したのかもしれない。でも、少なくとも自分が好きだった読書という行為を否定されたように感じた。

二つ。私は友達がいない人だと思われていたということ。小学3年までは放課後、学童保育に通っていたので同級生とそこで遊んでいた。たしかに読書量は中学年くらいから増えていったけど、学童保育ではおにごっこや折り紙、テレビをみたりみんなで宿題をしたりしていた。

ザ・堅物なことはしていなかったし、私は読書も好きだけど同じくらい友達と動いて遊ぶのも好きだったのだ。

田舎の学校なので、学年でひとクラス、36人で男女率は半々。自分を抜かした17人の女子全員と友達だった。


私は自分を、「友達が少ない」とは認識していなかった。幼なじみがいたからというのもあるが。

なにより、1年間その先生に担任されるストレスに耐えて、いいこちゃんでいたのに(怒られるのが嫌いなので極力回避するため、というよりは恐怖政治による防衛本能かも)。

そんな風に見られていたとは予期しておらず、なんだか虚しくなったんだろう。他人が自分をどう見るかに価値を置いていたのかもしれないし、それまでの先生にはほぼ褒められることしかなかったので、その反動でショックだったのかもしれない。

小学校3年生という年齢を考えると、毒教師は心配してくれたのかもしれない。だんだん女子の中でグループが出来てきていたという記憶はある。その中で本ばかり読んでいたらいじめの対象になりやすいかもしれないと。あまり学校の中で読んでいた記憶はないのだが。

それ以来自分には友達がいない、少ないタイプだと自己認識するようになった。だからこの前、友達に私は友達が多い、いろんな人と付き合えると言われた時は信じられなかった。


私の中身何も変わっていないのに(知らず知らず変わっているのかもしれないけど、本質は変わっていないと思う。)、そういう風に私を見る人もいるのか、と。

今このことから学んだのは、どんなに頑張ってもネガティブに見られることもある、ポジティブに見る人もいる。

だか小さいころに、あなたはこんな子だと言われたことは意外と残っているものである。お願いだから、今先生として働いている人たちは、できるだけ児童や生徒をステレオタイプにはめず、そのまま受け入れてほしい。自分はダメな子だ、という認識がその子たちに根づいてしまう前に。

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