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続かない遊びとお稽古

小学生の頃から『世界七不思議』や『怖い話』が大好きだった。
姉達が少女漫画を並べている本棚に
『タイガーマスク』『天才バカボン』『トイレット博士』と一緒に
不気味な本が並んでいた。
姉達は「誰も読まへんのに、そんなん買って」とブツブツ言っていた。

爬虫類のゴム人形が好きで、クッキーの缶に入れて集めていた。
母が掃除をするたびに缶を開けて
「ギャァアアアァアアア~~~~!」と叫んで
「こんなとこに、こんなもん置かんときよしっ(置くな)!」と怒鳴る。
何で毎回開けるのか、不思議だった。
あれこそ『世界の七不思議』に認定もんだ。

父と一緒に『野生の王国』やガッツ石松のボクシング、
沢村忠のキックボクシングを見ていると、
母も姉達も「そんなん見て!」と軽蔑していた。
父と観ていたクリント・イーストウッドや
ジュリアーノ・ジェンマの西部劇に感化されて、
姉に「西部劇ごっこしよ!」と言っても
最後にはタミーちゃん、リカちゃんのお人形さんごっこをやらされた。

お人形さんごっこと同様、ままごと遊びも嫌いだった。
友達はお母さん役とお姉さん役の取り合いで、
しょっちゅうケンカしていた。
私は必ずお父さん役かお兄さん役。
「会社に行ってきます」と言って、その場から離れることができた。
一度、「ちょっとお昼寝します」と
休日のお父さんを演じたら、本当に爆睡してしまった。
目が覚めたら友達みんな
「○○ちゃん、寝たから、帰る」と私の母に告げて帰っていた。

足がびっくりするくらい遅かったけれど、
キックベースやハンドベースボールには参加させてもらえた。
野球が好きで、ルールがわかっていたからだと思う。
この遊びは楽しかった。
そして強制で習わされていたピアノやお習字を休む理由に使っていた。
「遊んでてうっかり忘れていた」
遊ばない時は、押し入れの布団の間に隠れた。

たまにお習字に行くと
おばあちゃん先生が「今日はスト中止ですか?」と言う。
小学1年生の私には『スト』の意味がわからなかった。
家に帰って親に教えてもらったので、
私は早くから『ストライキ』の意味を知っていた。
これはちょっと自慢だった。

お習字のお稽古は、ストライキのつもりが
気がついたら辞職していた。

私は何かしらの病気が入っているのか、楽譜が読めない。
五線譜から離れたオタマジャクシは
指で順番に数えていかないとわからない。
どんなにやっても覚えられない。
ついでに人の顔と名前も覚えられない。
1~2時間喋っても、次に会ったらわからない。

楽譜が読めないから、ピアノの練習が大嫌いだった。
たまに気が向いた時に練習すると
姉がやって来て「下手くそ!」と横取りする。
一週間、全くピアノに触らず、気が向いたらお稽古に行く。
先生に怒られても、なんとも思わない。
こうなると先生が折れてきて可愛がってもらった。
「○○ちゃんの月謝はいらないです」とまで母に言ってきた。

中一になってようやく「ピアノを止めてもいい」と母に言われた。
「8年間教えて、バイエルが終わらなかった子は初めてでした」
と先生にお墨付きをいただいた。
これもちょっと自慢。

母は「止めさせてあげる代わりに塾に行け」と血迷ったことを言った。
小学生の時、そろばん教室にも通わそうとしたが
「お母ちゃん、私が何をやっても続かへんの、知ってるやん?」
という正論で切り抜けた。
そろばんをやらなかったからなのか、ただのアホなのか、
未だに姉妹で私だけ計算が異常に遅い。

結局、塾は通わされた。
寺小屋塾でおばあちゃん先生が教えてくれた。
ここでも私は姉達と違って真面目に通わなかった。
それでもおばあちゃん先生は気遣って
「○○ちゃんは勉強ができるのにもったいない。
好きな曜日でいいから来なさい」と言ってくれた。
そりゃあ、三人分の月謝をもらっていたら、
一人くらい出来が悪くても大目に見るだろう。

結局、好きな曜日が無かったので、行かなかった。

何も続かないまま、年だけ食った私。
今は死ぬ時まで、人生、暇つぶししている。

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