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海のタンデム卒業式

父が大好きなバイクを売ることにした。

もう歳だし、体力がなくなってきたし、木造の車庫も古くなってきたから、らしい。

わたしは(大丈夫だろうか?)と心配になった。

父は根っからのライダーだ。よく晴れた休日は早朝からバイクを丁寧に磨き上げ、私をタンデムデートに連れ出してくれた。おそろいのライダースジャケットを着て、大きな背中にしがみつき、季節の光と匂いを浴びてきた。


薄紅色の花びらが舞い散る中を颯爽とすり抜けた春も

力強い日射しに負けじと潮風を突き破った夏も

銀杏の香りに包まれながら黄金色に輝く絨毯を踏み進めた秋も

途中休憩で食べるコンビニ肉まんの蒸気で真っ赤な鼻先を暖めた冬も

父と走る時間の中で初めて知った。



最初は、バイクを売ったら父の楽しみが奪われてしまうのではないかと心配していた。

しかし、私の中にある楽しかった思い出もなくなってしまうようで寂しかったのだと、後から気づいた。


よく晴れた週末、父を誘い電車に揺られて海に来た。

駅から海岸へ向かう途中でコンビニに寄り、缶ビールと肉まんを買う。

忙しく動き回る建設機械。倒れたままの木々。土まみれの家屋。塩で干上がった田畑。

東日本大震災の傷跡が色濃く残る海沿いを歩き続け、銀色に輝く水面にたどり着く。

誰もいない静かな海。
かつては賑やかだった海。
人を楽しませてくれた海。
人を飲み込んでいった海。

父は海沿いのツーリングが大好きで、よくこの海に連れてきてくれた。


今は遊泳禁止の看板と花束だけが風に揺れている。


父も私も、何も喋らなかったが
同じことを考えていただろう。





岩の上に二人で座り、缶ビールを開ける。

「バイク卒業おめでとうってことで。」

明るく宣言し、とびっきりの笑顔で

「「乾杯!」」



太陽と潮風を浴びながら喉を鳴らすと、体の隅々にまでビールが行き渡っていくようだ。

肉まんをひとくちかじると、その柔らかな温もりに思わず笑みがこぼれる。


母と初めてデートした日のこと。
大学時代に仲間とツーリングしたこと。
職場の同僚とキャンプに行ったこと。
兄や私を連れて走った日のこと。


冷たいビールを少しずつ飲みながら、今までのバイクの思い出を次々と嬉しそうに喋る父を眺めていると、思っていたよりも少し白髪と皺が多いことに気づく。

強くて優しくてかっこいいスーパーライダーも、いつのまにか少しずつ老けてしまうのか。

込み上げる何かに気づかぬふりをして、少し冷めた肉まんを頬張る。

目の前に広がる海があまりにも眩しくて、細めた目をそのまま閉じた。


海を前にすると、ひとは無力だ。

あの日、恐ろしいニュースを見ながら

(もう二度と海を好きと思えないかもしれない)

そんな予感がしていたけれど、

全くの勘違いだった。

私は海が好きだ。

[楽しいから]

だけじゃない。

海を前にしたひとの儚さが、尊さが、あまりにも愛しいから

海が好きだ。



「こういうのも、いいな。
今日は誘ってくれてありがとう。」

隣の父が、飲み干した缶ビールを撫でながら呟く。



よかった。
いつも海のような大きな愛で家族を包み込んでくれた父。まだまだこれからも元気でいてほしい。

縦に並びスピーディーに走り抜ける幸せも、横に並びまったりお酒を飲みながらお喋りする幸せも、どっちもいいよね。

今まで私を連れ回してくれたから、今度は私が色々な場所に連れていくよ。

今日は一緒に海に来てくれてありがとう。

これからもよろしくね!


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