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魔法のシチュー餃子

わたしの実家には、家族それぞれの部屋がなかった。

基本的に家族全員が茶の間で過ごす。

家の中でひとりになることが出来る空間はお風呂とお手洗いぐらいなので、私はよくお風呂に大量の本を持ち込み、入浴中にじっくり読み進めた。

いま自分の本棚を見渡すと、昔からお気に入りの小説ほど、かつての湯気でシワシワになっている。

当時、自分の部屋がない事についてあまり気にしていなかったが、大学受験の際はさすがに勉強部屋が欲しかった。

母に相談した結果、我が家の近所にある祖父母宅の部屋が1つ空いているということで、半年間そこを借りることになった。

学校が終わったら祖父母宅へ帰り、祖父母と一緒に夕飯を頂き、そこから部屋で勉強する。5時間ほど勉強して終わったら我が家へ戻り、お風呂に入って就寝。

祖母が作ってくれる夕飯が、1日で1番の楽しみになっていた。

祖母の料理は、和洋中どれも本当に絶品だった。丁寧に心を込めて作っているということが、一品一品からきちんと伝わってくる料理達。

特に私のお気に入りだったメニューは

祖母特製の【シチュー餃子】だ。

鶏挽肉と微塵切りしたキャベツや生姜をシチューのルーでしっかり煮込み、餃子の皮で包んで焼いた、祖母のオリジナル料理。

これさえあればもう他のおかずは何もいらないぐらい、美味しさがギュっと詰まった魔法の餃子。

これが本当に大好きで、夕飯にシチュー餃子が登場した日はいつも3回白米をおかわりした。

普段はダイエットの為に茶碗半分しか食べていなかったのに。

学校帰り、祖父母宅の玄関に手をかけた瞬間、少しだけシチューの匂いが外に漏れている。それだけで私の脳内は一気にお祭り状態。ルンルン気分で扉をあけて、いつもより大きめの声で「ただいま!」と叫んでいた。

急いで手を洗い着替えて食卓に飛び込む。

熱々だから舌が火傷するのは分かっているけど焦る気持ちが止まらない。
もう一口。
あともう一口。
ああ 止まらない。

夢中で箸を動かす。
最後にお皿に残った肉汁たっぷりのシチュースープは何度でも掬って永遠に飲み続けたい衝動に駆られる。

どうしてこんなにも夢中になってしまうのだろう。

きっとこれも祖母の魔法だ。

学校でどんなに嫌なことがあった日も、

疲れ果てて勉強したくない日も、

模擬試験の結果が悪く落ち込んだ日も、

祖母の魔法の夕飯で私はたちまち元気を取り戻すことができた。(満腹のため眠気と戦うことにはなったが。)



祖父母宅で過ごした1年間、受験について祖母から何か激励の言葉をかけられたことは1度もない。

しかし、私のことを深く愛してくれて、必死に応援してくれているということはいつも強く感じていた。

[美味しい料理で人を応援することが出来る]ということを、私は祖母から教わった。

私も自分にとって大切な人達に、丁寧に心を込めた美味しい料理で応援できるようになりたい。祖母のような魔法使いになりたい。そうだ!弟子入りしよう!

そう思いつき、大学の講義が休みの日は祖母に料理を教わろうと思っていた。


それなのに


無事に第一志望の大学に合格し入学式が終わった帰り道、何気なく見たスマホ画面の文字を最初は理解できなかった。

[おばあちゃんがホスピスに入りました。]

胃の病気で、進行が早く、もう助かる見込みは無いという。

(ホスピスって、もう死が近づいている患者と家族をケアするところだよね?つい最近までキッチンで元気に魔法を振りまいていた私のおばあちゃんが何故?)

ひどく混乱した。

それまで何回か親戚の葬式に参列したことはあるし、人間には寿命があることも分かっていたつもりだったが、

いざ、自分の大好きな人が連れていかれそうとなると何もかも意味が分からない。


まだまだ沢山教わりたいことがあったのに。

あ、シチュー餃子のレシピ。

教えてもらわなくちゃ。急がなくちゃ。


電車とバスを乗り継ぎ、見知らぬ土地に迷いながらホスピスへたどり着いた。

すっかり痩せこけた祖母が、柔らかな笑顔で迎えてくれた。


・シチューのルーを事前に溶いておくこと

・キャベツはしっかりと塩揉みをして水気を切ること

・生姜はケチらずどっさり用意すること

・胡麻油ではなくオリーブ油を使うこと

・鶏挽肉にちょっぴりマヨネーズを混ぜるのを忘れずに

メモをとりながら、今すぐ大きな声で泣きたくなる気持ちを必死に堪え ボールペンを強く握りしめた。





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微塵切りした野菜を牛乳で柔らかくなるまでじっくり煮込んだ、シチュー風の離乳食を娘に食べさせていたら

突然

10年前の祖母の味が心をぎゅっと掴んできて鼻の奥がツンとしてきた。

あのメモ用紙は確か免許証ケースに入れたはず。

探すと案外簡単に見つかった。

黄ばんでボロボロの紙切れだが、文字はうっすら読める。

あの時

せっかく魔法のレシピを教えてもらったのに、なんとなく作れずにいたのだ。

口のまわりにミルクをつけた娘を見ていたら、今なら作れる気がした。

今夜の夕飯は【シチュー餃子】にしようかな。

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