見出し画像

ないと困る月の話

とは。

言わずと知れた地球の衛星で、当然ながら、地球から最も近い場所にいる天体でもある。その距離は約38万km、らしい。地表でちまちま暮らしている生き物からすると実に遠い距離だけれども、天文単位や光年が当たり前に飛び交う宇宙の感覚で考えると、まさに『手に手を取って踊っている距離』である。

近いだけあって、地球の空ではひときわ目立つ存在だ。昼の空にある白く静かなたたずまい、夜を行く者ならば誰もが目にする柔らかな光。見た目の満ち欠けだけでなく、潮の満ち引きに与える影響も見逃せない。珊瑚の産卵から人の出生にかかわる俗説まで、月は地球上の物事に広汎な影響を与えていいる。文化だってその例外ではない。絵でも歌でも音楽でも小説でも、月はしょっちゅう顔を出す。昼の空は太陽の世界、夜の空は月の世界。そんな雰囲気だ。

当然ながら、占星術においても月の存在感は絶大だ。太陽と月をセットでライツと呼ぶことがあるくらいに(例:ライツてんうし→太陽が天秤座、月が牡牛座という意味)。Web上の星占いコンテンツで、太陽単独ではなく、太陽と月の組み合わせを取り上げたものもけっこうある。この二星が占星術上でいかに重要かというのは、この一事だけでもよく分かる。

個人の出生図を見るときにも、とても重要……なんだけれど、何月何日、まで分かればだいたい大丈夫な太陽と比べて、月はちょっと算出に難がある。一日のうちでもかなり動いてしまうので、出生時刻が判明しないと正確な位置が出ないのだ。私が出生図を読むとき、『出生時刻が分かるなら教えて欲しい、具体的には分からなくても、せめて午前か午後かだけでも』とお願いしているのは、この月の位置を可能な限りしぼりこみたいが為だ。

時刻が分からない場合、私は12:00出生の想定で出生図を出すのだけれど、これで月がサインの境目付近にいた場合、月のサインが確定しない状態で読むことになる。例えるなら、クライミングをするのに、足場が一つ使えない、という感覚だ。他の足場が使えれば解釈全体を組み立てることは可能だけれど、やはり、月の足場がアテになるかならないかは、大きい。

人を読むとき、月が何故にそんなに大事なのかといえば、月はその人のもつ生き物としての前提を示しているからだ。本能的な部分、といってもいい。赤ん坊のような部分、動物としての人間が持つ部分、物心つく前に育てられる部分。こちらでは『名刺には書かない自分』と書いたけれど、もっとあけすけに言えば、現代社会において、その出生図の持ち主が、主観として「いい大人がこんなん人前に晒したらプライドも信用失うわボケぇ!」と感じてしまう物事は、月の範囲に存在することがかなりある。

そこまで行かないにしても、「あれはほんと世間に見せるものじゃないよねぇ……」とか、「なんか見ててイタいんだけど」と感じてしまう物事と、出生図の月の特徴が一致するパターンは、結構あるのである。自分以外誰かの中に自分の月と同じものを見いだすと、なんか妙にイラ立ったり恥ずかしくなったりすることがあるのだ。月起因のトラブルがこじれがちで、お金が絡むと更にたいへんなことに、というのは『星で読むお金の話-月編』でも少し書いたことだけれど、お金に限った話ではなく、月の絡んだご相談には『ちょっと恥ずかしい話なんだけど』『この年になって、情けないんですが……』という枕詞がつきがちなのである。

ここから先は

2,341字

¥ 200

期間限定 PayPay支払いすると抽選でお得に!

頂いた投げ銭は、全て生きる足しにします。ありがとうございます。