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星と歩く、たまにコケる…地味で大事な土星の話

西洋占星術の世界に踏み込んで、初歩と言われる部分をだいたい押さえてみると、土星はあんまりいいイメージを持たれないことが大半だ。死とか、制限とか、限界とか、苦手意識とか、なんかしんどいよね……みたいな。

これは土星が、人類史の中でも随分ながいこと『最果て』であったからだと思う。人間が、その肉体の目で捉えられる惑星のうち、最も遠い存在。動きも遅く、見た目も暗く、いだかれるイメージは老人のそれだ。

ただ、死だけはちょっと変わってきたように思う。
今ほど医療が発達していない時代は、肉体の終わりがそのまま死だった。大量の血を失う、食べられなくなる、呼吸と心臓が止まる、そうなれば問答無用の死、おしまい、だ。

しかし現代だと、人工呼吸器と胃ろうのような手段によって、一定限度はあれど“生物としての機能”を失った個体でも、肉体を生かすことができるようになっている。よって、昔から土星が管轄していたものごとのうち、死だけは土星の手からだいぶ離れているのではないかな、と私は思っている。もちろん場合によるけれど、昔ほど絶対的に死=土星のものごととは言えなくなっていると思うのだ。

土星より更に遠い惑星が発見された今でも、占星術の世界における土星のイメージは、基本的にあんまり変わらない。人間社会のルール、倫理、法律という“社会を一番外側から縛るもの”の象徴として扱われている。

まあそんな背景もあって、重苦しい印象はどうしたって否めない。天王星より外側のはちゃめちゃ具合とか、木星より内側の“人間にとっての恵みや能力”を示す他の星々と比べて、ほんとに地味だし面倒くさい……のはまあ、その通りだ。

しかし、である。

土星のものごとを拒絶したらどうなるかは、想像に難くないだろう。
この社会の屋台骨を支えているのはたいてい土星のもちものだ。

土星より内側の星たちの力をまとめて輪郭を作り、これはこういうものと切り分けて扱うのも土星の力。あるいは天王星より向こう側の世界に対して、「いやいや、それまだ人類には早いですって!」という形で、凡人でもなんとか生きられる場所を提供してくれるのは、やっぱり土星なのだ。

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