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復活したオリヅルランと出生図の話

タイトル画像は前回の記事で語ったオリヅルランの親株である。植え替えてからほぼ一ヶ月、水と日の光を得た親株は、すくすくと伸びている。植えているのは兼弥産業のスリットポットの4号鉢(色は自分で塗った)なのだが、今の時点で既に、伸びた葉が鉢をはみだしている。この分だと春には植え替えが必要かもしれない。更に、枯れてしまったように見えていたところから、新芽がちょこんと顔をだした。その葉もやはり、きれいな斑が入っている(タイトル画像の中央やや左下あたりのがそれだ)。……その、なんだ、あんな環境に耐えたのだから強い植物なのだろうとは思ってたけど、ほんとに強いなオリヅルラン。

横から撮るとこんなかんじ。奧は水耕の子株

私の記憶にあるかつての姿と比べると、全体的に色が淡い。調べてみたところ、明るいところで育つと色が薄くなる傾向があるそうだ。たぶん、そこまで気合いを入れて葉緑素を作らなくても光合成は大丈夫だよ、ということだろう。

かつての姿とも、枯れかけていた姿とも違う、今の姿。この変化を目にしたとき、私が考えたのは占星術における出生図のことだ。

同じ株でも、環境によって姿はこれだけ変わる。出生図も同じだろうと思う。たとえ同じ場所で同じ時間に産声を上げたのだとしても、その後どんな環境で生きるかによって、人間の姿は大幅に変わるのだ。それこそ、まるで別人のように。しかし丁寧に読み解いていけば、その人の奧にある『共通する何か』は、やはり出生図の中に書かれているソレに着地するのだろうと思う。

最近はWORDSで様々な人たちの出生図を読ませて頂いているが(ご依頼ありがとうございます)、出生図の可能性がどういう形で現世に出現するかは、その人がどういう人生を歩んできて、どういう選択をしてきたかによって大幅に変わるのだ、ということを改めて確信した。

例えるならば、厳しい環境を耐え抜く為にぎゅっと固い葉を作り上げ、ここまで固くなれるのだから自分はきっとニラネギか何かなのだろう思っていたのに、水と穏やかな陽光とちょうどいい栄養を得たら、新しく作った葉は広くやわらかく白い斑が入っていることに気がついて、それでようやく自分はオリヅルランだったらしいと気づくようなケースは、結構あるようだ。

以下はあくまで私の考えで、何か確証がある訳ではないのだけれど、今までの時代は、『生まれ持った自分自身の傾向』にある程度目をつむっていても、取りあえず社会に適応できる範囲に居さえすれば、何とかなってきたのだろうと思う。しかし、いわゆる風の時代の本格化(来年の3月くらいに冥王星が水瓶座へ入るので)によって、いよいよごまかしはきかなくなってくるだろうなあ、という気がしてならない。水瓶座ワールドの物事は往々にして、お世辞やお追従が嫌いだ。嘘やごまかしも大嫌いだ。あと少しで、お空の冥王星がそんな空気をまといはじめる。普段生きている中で、『なんとかごまかしている』『実は本音じゃない、本当じゃない』と感じる物事は、できるだけ整理して、極限まで減らしていったほうがいい気がしている。意識的に整理しなくても、否応なく整理しなくてはいけない事態にブチ当たる可能性も結構高い気がするけれど、その場合でも心の準備が出来ているか否かによって、受ける衝撃はかなり違うと思うからだ。

自分の中の嘘とごまかしを片付けた結果、今まで得てきたものを失う可能性もあるけれど、更地になったところから思わぬ『自分』が芽吹いてくるかもしれない。これが風の時代の、厳しくも面白い側面だなと思う。


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