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ハードとかソフトとか吉凶とか

(※写真は特に記事の内容と関係ありません)

年末年始は占い業界が盛り上がる。年の区切りを迎えたとき、次の一年をどうしよう、という気分になるからだろうか。各種の占いで年運を占った本は毎年出版されているし、自分で出来るよって人は「今年はどんな年になる?」という問いを元に卜術を打ってみる、なんてこともあるだろう。

そういえばおみくじも広義の卜術なんだろうか。個人的には、あれはおみくじを設置している神社の御祭神が私を見て一言、って感じなのだろうなーとぼんやり思っている。私は地元の神社へ、毎年年始にご挨拶に行ってそのときかならずおみくじを一回引いてみるけれど、今年のソレは『万事思うようには行かないし、何もかも進みはしないので身を慎め、守ることを優先して出来るだけ動くな』というもので、物心ついてから今に至るまでの記憶にある限り、いちばん厳しい一言だった。なるほど辛抱の年か、まあそういうこともあるわなあと思っていた矢先に、階段で足を滑らせて転落、負傷して物理的に動けなくなってしまった。痛みで目の前がブラックアウトしたのは初めてだった。なかなかハードななさりようですね氏神様……。そういう訳で現在、手と脳は非常に暇なのに足が動かないためほぼPCの前から動けず、連日の更新となった訳である。

今回のおみくじ、吉凶でいけば小吉と書いてあったけどそこはあんまり重視していない。運勢というものを考えるときは、吉凶つまり『良い/悪い』の二択ではとても捉えきれない要素が多いからだ。現に今、私はまともに歩ける状態ではなく、イコール仕事ができないため、この十年あまりで最も長い連休を過ごしている。痛い上に動けないけど休めはしているのだ間違いなく。睡眠時間が充足した結果、あれ私こんなに穏やかな人間だったっけ、みたいな気分になっている。

更に、視界がブラックアウトするほどの痛みというのは本当に存在することと、そういうときにどう視界が塞がれていくのかが分かった上に、あの延長には『痛みで気絶』という現象も起こるんだなということを理解できた。激痛で真っ暗な視界を体験した瞬間、よっしゃあこれで『気絶するほどの痛み』が本当に書けるぞなんて思ったのは大マジのマジである。

よって、怪我、という一点はどっちかといえば凶/悪いこと、なんだろうけれども、それで私が得たものは単純に『悪いもの』だけではない。そりゃあもちろん世の中には、誰が見たって不幸としか言いようがないだろうそれみたいな物事だってあるけれど、そう割り切れる物事の方が少ないだろうと思うのだ。良い/悪いは人間の考えることであって、天与の絶対的なモノではないのだから。

同じことが、占星術の解釈にも言える。

よくハードアスペクトは凶でソフトアスペクトは吉とか、吉星(ベネフィック)と凶星(マレフィック)とか言うけれど、それを単純によいもの/わるいものと考えて良いかといえば、違うだろうと思う。少なくとも現代の個人にとっては、だ。

という訳で今回はアスペクトのハード/ソフト、それも主に出生図上の解釈について、という方向に的を絞って書いてみようと思う。

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