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「優しい」という技術。

車使ってると「お先にどうぞ」的なパッシングをされることがよくあるけど、あれってやり慣れてないとなかなかスムーズに譲れないよなって思う。
スムーズに譲られると「あ、いつもこういうことをしてる人なんだな」って思う。

内面が優しい人が全員優しい行動を取れるわけじゃない。優しい内面を持っていても技術がないと行動に表すことができない。

一時期話題になっていたフロムの「愛するということ」という本を読みかけたままでいるのだが、あの本の初めのほうに「『愛する』ということも技術で、練習が必要なんですよ」みたいなニュアンスのことが書かれていた。

↑これですね。

内容は時代が時代なだけあって前時代的ではあるのだが(男はこう、女はこうみたいな論調が多い)、「技術が必要」という部分に関しては確かにですね、と思う。

「優しい」内面を表に出そうとした時に最初はあまりにも下手だったり、上手くできないことで逆に傷つけられたり、そういうことが続いて「優しい」という技術を身につけることを放棄しちゃっている部分もあるんじゃないかと思っている。

生きている中でどういう技術を身につけるかは個々人の裁量なわけだが、「優しい人」でいるために、優しくあるための技術を一つずつ身につけていきたい。優しい行動が上手くいかなくても、それは優しさが必要ないとか、優しさが仇で返されたとかじゃなくてただ自分の技術がまだ足りないという、それだけなのです。
ちゃんと「優しい」を練習しつづけたいです。



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