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あけましておめでとうございます🐰2023年の目標など-安全で程々の道と、もがいて突っ走る道の分岐点に着いた気がします(つらい)-

もう11日ですね〜。

犬の日ですね〜。

はやい。

あけましておめでとうございます。

バタバタで年明けしました。
初日の出という概念すら忘れて元日の昼まで寝てました。

今年の目標はどうしたもんかなと考えまして、メモにいろいろ書いてたんですが、そいつをようやくまとめてしまいました。
でもいっぱいになりすぎちゃった。1年で終わらせられるかしら。

一先ず難易度順に。
志望度順にしようか迷ったけど、多分1年で変わっちゃうので。

いや〜。今年も金がかかるね〜。
わたくしの敬愛する小林賢太郎さんの本を大学生のときに読んで、「30歳までは貯金しないで全部自分の勉強の為に使った」的なことを言っていた気がするので、それを真似します。(記憶違いだったらごめんなさいだ)

といいつつつみたてNISAがうんちゃらとか書いてますがね。ちゃっかり。
老後の為というより経験の為にやろうと思いますよ。

とはいえ30歳までもうあと3年。
生きてんのかな。
生きてんだろうな。

こういうこと言ってるやつがなんだかんだしぶとく生き残んねん。
皆々様今後ともどうぞよろしく。


いや〜。
ドラマ溜めすぎ。いつのやねん。

全然観てない。ドラマまじで観てないな。
「初恋の悪魔」絶対観るぞって意気込んでたのに。

というわけで「silent」をね。観始めました。
昨日一話の半分まで観ました。

silentの脚本さんってあれなんやね。めっちゃ同郷の人だった。
しかもまだ20代の人だった。

いや〜なんか身近だな〜。
なんだかな〜。

いいな〜。

うらやましい。

なんか、身近なんだな〜って思いました。雑な感想。

いや〜。

身近なんよ。

たぶんさ。

「いいな〜」って思ってる場所って意外と近所なんだろね。
ファンタジーじゃないんさ。

今2作目の、割と気軽に書いてる短編小説があったんだが、やっぱり脚本にしたいな〜と思って、今日これから直し始める予定。

1作目に書いたやつも、とりあえず小説として完成させてみて、そいつを脚本ぽい感じにしようと思ってたから、2作目もそんな感じで行こうと思ってたんだけどさ。

まずなんで小説から入るねん、というと、小説なら1人で完成させられるからなんじゃ。
脚本となると、完成してもそれはただの脚本なわけで、別に脚本だって一つの完成された作品とも言えるじゃないかと言えばそうかもねなんだけれども、ちがうねん。
それははじまりなのであって、脚本というのは具材なわけであって完成された料理ではないねん。

そんで私はもう別に趣味と言える程でもない素人の中の素人、ど素人なわけであって、脚本書いたところでそれを映画だかなんだかにできる力はないのですよ。

頑張って書いたのに具材のままで放置されるのはかわいそうだよね。ね?

だからいったん自分一人で完結できる小説というものを私もしてみむとてすなり。
そんでからこねこねセルフ脚本化して自己満足に陥ろうかな〜と思ってるんですけどね。

なんか待てねえな〜と思って。

ただでさえ書くの遅いのに、なかなかまとまった時間も取れなさそうで、つらいつらい。
別に時間があるからといって頑張るわけでもないし、今くらいがちょうどいいのかもしれないけど、ほんとに進まん。

まず小説書き上げて、書いたら書いたでどっかに応募したいし、それを脚本に直して、小説落ちてるのを確認してまた応募してとかやったり。めっちゃ時間かかる。

いやだね。時間がかかるものは全て苦手なタイプの人間です。
パパッとやりたい。ドーッ!ってやってパッ!ってなって終わりたい。

「コツコツ」という擬態語を聞くだけでなんかいやな気持ちになるくらい苦手なんですよ。

でももともとお話書くとき映像的な想像が強いのと、今回はセリフばっかりになってたからすぐ直せそう。いいね。すぐ、っていうのがいいね。

「silent」の話に戻るんだけど、脚本の方の(生方さんというそうです)noteをフォローして、昨日全記事読んじゃった。(それにしても大学といいバイト先といい、めっちゃ地元やな)

坂元裕二さん不動の人気ですな。

silent一話の途中までしか観てないといいましたが、なんか「花束みたいな恋をした」感を感じた。
(気になってちょっと調べてみたら、同じことを思った人も一定数いそうな感じ)

私が感じたのは、まず「聞く?」ってイヤホンを貸すシーン。
片耳ずつ聞くんじゃなくて、両耳貸すんだって思った。

プレゼントかぶりのシーンは、なんか直で無かったっけ?ちゃんと覚えてない。でもなんかこれデジャブ?って思った。

ググって出てきたのは、リアル固有名詞がよく出てくるとことか、名前が漢字一文字とか。確かに。

花束、いいよね。
もう一回観たい。

やさしい人にしか絞り出せない台詞ってあるよね。
小説でもそうだけど、言葉という直接的な表現方法を使う以上、その人の考え方っていやでも透けてきちゃうよね。

お笑い見てる時も思う。
日頃思うことがあるんだろうな、って感じることがある。

「日頃思うことがあるんだろうな」って感じられる人の言葉って深く味が染みてるのよね。1週間くらい放置されたおでんの大根みたいなね。この例えはめちゃくちゃ浅いね。

そういう言葉にね、もっと触れてたいと思うし、そういう言葉たちの味の深みを感じられる人間でありたいわけですよ。

あ、silentの話に戻るけど、川口春奈(役名覚えないやつ)が、もらったイヤホンが壊れて、Bluetoothのやつつけるシーンあったよね。

なんか、時の流れを表してるのと、有線の距離感(無線になって繋がってた糸が切れちゃった感じ?これは流石に深読みババア?)なんかなって思ってたんだけど、

さっきお風呂に入りながら「現代の高校生ってAirPods片耳ずつ共有してんのかな」って思ったりして、
でも有線の「繋がってる感」みたいなのなんか無くなっちゃいそうやなとか考えて、いや逆に「Bluetoothの繋がる距離感」ってめっちゃ青春みに溢れてるな、とか思ったり。

「Bluetoothの繋がる距離感」

え。

めっちゃ青春だよね。

どっかで使お。


エアドロはなんか違うよね。
エアドロってなんかちゃらくないか?

エアドロはちゃらいよね。

Bluetoothはなんかもどかしい。

分かる、って人いたら「分かる」って画面の前で言ってください。

お風呂に入ってる時ってめっちゃこんなこと考えるよね。
そんで一瞬で忘れるんよね。

やめてほしい。

覚えててよかった。

割と風呂にスマホ持ち込む人間なんだが、スマホいじってる時は別になんも思いつかんのよね。
めっちゃメモれない時にメモりたいこと考えちゃうのよね。これはバターを塗った方が下に落ちる法則的なやつですか?

どうでもいいんですよこんな話は。
あれ?今年の目標の話するはずだったのに何の話やこれ。

目標の話依然としてしてないですね。

今日、目標リストを一つ埋めました。
「純喫茶と酒場」っていうコンセプト的なカフェですね。
全然行こうと思えばいつでも行ける距離なんだけど、そういうとこってなんだかんだで行かないのよね。
眉毛サロンと美容院の合間の30分くらいしか滞在できなかった。無念。また行こ。車だったからお酒も飲めなかったし。

今年もう映画館で2作観たんやな。出だし好調。
配信もなかなかに観れてないし、本読む時間も取れてないので、今年は積極的に休みを入れてこ。

ほんとにね。
暇が大事ですよ。

多忙は人の思考を浅くさせるし、疲れと睡眠不足は人の性格を悪くさせるなと身をもって感じましたよ。

いやだね。

思考が浅くて性格の悪い人間になりたくない。


今更タイトル回収をすると、もう、なんかやりたいことやりたいな〜って気持ちになってます。今年。

いやもともとやりたいことしかできない人間なんだけどさ。

なんか。あれやねん。

太宰さんとかゴッホさんとか、自分の憧れの対象になってくる人って自殺してるねん。なかなかな人生送ってるねん。

でも多分それって、もう切り離せないんでしょうね。

もう気持ちは割と突っ走るほうに向いてるんだけど、そこに付随する苦しさとか孤独感とか、具体的に言うと良好な金銭とか、良好な友人関係とか恋愛関係とか、他のやりたいことだとか、そういうのを諦めないといけないってなったときに自分が本当にそれを捨てられるのかを疑わなければいけなくなって、

もちろんだけど、楽して生きたい。
つらいことはきらい。
金はほしい。
欲しいものは全部欲しい。

でもそれらを得てしまったときに自分が満足を感じられる人間かというと、誠に残念ながら該当はしないんですな。

たぶんね。
穏やかな生活を送ろうと思えばそれもできるんだと思うのですよ。
そこまで本能が突っ走っているわけでもなくて、だからこそ分岐点をウロウロしてるんだろうけど、選択次第なんでしょうねって思う。

選択次第というか、どんだけ諦める勇気を持てるかっていう。
つらいな〜。

何も捨てたくない。

でももう割とタイムリミットなんでしょうね。人生の。
これ以上経つとどっちもタイムオーバーになっちゃうだろうなって感覚がある。

もうそんなこんなな歳ですよ。

ただ、なんだかんだ直感がいつも正しい。
大きい決断のときはいつも直感が働いてくれるので、そのときは勇気を出さないといけないんだなって思う。

歳とってくると、直感が「こっちだよ」って言っても、そっちに進んだときの大変さを想像できちゃったりして、なんか…まじか…って思って踏ん切りつかなかったり。

でももう割と取り返しつかないところにきちゃったんでしょうね〜。わ〜ん。

なんかもうしばらく虚無主義やらせていただいてるから、努力とかそういう概念、もうええねんとか思うし。

なんやねんそれだし。そもそも「努力」という概念の定義とは??みたいな脳内理詰めマンが働き始めてめんどくさくなるし。

なにも頑張りたくないんですよ。
書くのも書くので大変だしさ。

でもなんか、ちゃんと残したいんですよ。
こんなこと考えてるよって。
ちゃんと自分ですよって。

死んだら骨も墓もいらん。肉はなんなら食べてくれ。
わざわざ生きてる動物殺して食べるんなら私の死亡直後の肉冷凍して食べたほうが誰も苦しまないのでは?とか思ったり。(とはいえ私も他人の肉食べる勇気流石にないな)
でもわざわざ燃やされて何も残らないより、なんか食べてくれたほうが生きた甲斐もあるかもと思ったり。

脱線しましたけどね。

そんなこんなでも今年はなんか楽しく生きていける気がしている。
間違ってないことを再確認した気がする。

道のりは長いがね。
でも着いちゃえばあっという間なのよね。

とりあえずリストを埋めていって、進んできたらまた記事書こうかな。

んでは。

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