ストレスフリーに生きたい
気づいたらヒキニートの真似事をしている大学院生です、こんにちは。
普段は一日10時間くらい研究室にいるのですが、こんなご時世なので研究室も原則閉鎖になってしまいました。その結果がヒキニートです。
「自分が引きこもることによって誰かの命を守っているんだ」という考え方、どこかで見たのですが素敵ですよね。半年前くらいだと「引きこもり(ズル休み的なもの)を正当化するようなことをよくもまあいけしゃあしゃあと」なんて言われそうな文言です。
半年前。2019年12月。クリスマスのイルミネーションがキラキラしてましたね。クリスマスマーケットなるものに毎年行っているのですが、ホットワインでも飲んでいた頃でしょうか。普通のワインはあまり得意ではありませんが、スパイスなどを入れて温めるだけであんなに飲みやすくなるのは驚きです。
…さて、回想はここまでにして。とりあえず、以前のような生活には完全には戻らないと思っておいたほうが良いような気がしてきました。
元々、人混みや長蛇の列に並ぶのが好きではなく、運動も好まず、家にいるのが全く苦ではないタイプの人間なので、数日に一度食料の買い物に出るくらいで十分生きていけるのですが、世の中には私のような人間ばかりではありませんよね。
思うように外に出られないことがストレスになり、メンタル面できつくなっている人の方が多いかもしれません。
私と彼らは何が違うのか、と、ぼんやり考えながら、私の現状と考え方をまとめてみることにしました。
この一ヶ月ほどの引きこもり生活で、私はどうやらストレスが軽減しました。生活リズムは崩壊してしまったのですが、心身ともに健康であることの方がいまは重要だと思うことにしています。
まず一ヶ月前までの私について。
平日は毎日10時間研究室に籠もる日々。そこそこ通勤に時間のかかるアルバイト。たまにしか使わないコンロ。
家ではお風呂に入って寝るだけのような生活でした。あ、3月末にSwitchLiteとあつ森を手に入れていたので寝る前に遊んではいました。
研究室では、その日予定していた実験は終わったのにコアタイムが規定されているため虚無の時間を消費していました。本当に無駄。勿体ない。そんな時間があるなら早く帰って寝たい。
家に帰っても遅いのでお惣菜やお弁当を買ってきて夜ご飯を済ませるくらい。月に数えるほどしか使われない炊飯器。無くならない古米。私は新米が食べたい。
加えて、対人関係。初対面でもそこそこ普通に話ができ、言いたいことや報告することはしっかり伝え、話し始めるとポンポン話題が出てくる…世間一般的には「社交的」と評されるような人間をやっていますが、まあいつでもオンモードを維持するのはさすがに疲れてしまって、そういうところで結構神経すり減らしていたようです。
そしてこの一ヶ月間。
実験、とめました。研究室、お休みです。虚無の時間を消費しなくてよくなりました。
時間ができました。ご飯を作るようになりました。コンロさん、毎日活躍中です。古米も底が見えました。あと少しです。
人間との接触、8割減を要請されました。周りを気にしたり、強制オンモードの時間が減り、心は晴れやかです。お話をしたい人たちとは文字や電話でそれなりに連絡をとっています。多少のタイムラグはありますが、自分の好きなタイミングでお返事ができる、お話ができるのでとても助かっています。
さて、ここまで書いたところで、私の考え方になんとなく共通点が見えてきました。
いまの世の中には、「不要不急の外出はしないで」「人と会わないで」という(言葉はやわらかくふわっとしているものの)実質的な“禁止”が溢れています。
英語の方が比較するときになんとなくイメージを掴みやすそうなので、これらを“Don't”あるいは“Must not”とします。(“should not”もあるかな…)
一方、私の中では「外に出なくていい(日に焼けずに済む)」「毎日決まった時間に研究室に行かなくていい」「化粧しなくていい」というように“〇〇しなくていい”のオンパレードです。
こちらも英語にすると、いわゆる“Don't have to”です。
中学や高校の英語で使い分けを習ったアレです。
自分は後者の捉え方をしているから、この期間にストレスがむしろ軽減されたのかなと思ったりしています。
もしよかったら、この記事を読んでくださっている貴方も“〇〇しなくていい”の考え方でちょっとポジティブなところを探してみませんか?
過去と比べて今を憂うことがゼロになるとは思いませんが、まあしょうがないか、と一旦受け入れて、じゃあ何が出来るかな、と少しでも明るい方に考えられたらきっと、心もすこしは軽くなるかもしれません。
おわり。
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