ガザのこと

ガザのことを、みんな思っているだろうか。
この瞬間もガザにいるひとびと(若年者がほとんど、子どもが多い)が
爆撃や包囲やその他もろもろの制裁を受けさせられ、不当に苦しんでいる。
(このせかいは何でこんなにつめたいんだろう。おかしいことが正しいときと同じように反応され、むりやり押し込めているにも関わらず最終的に上手い具合に流されていってしまう。ここが悪いというピンポイントがどうしてもずらされる。みんなそんなばかでないのに…)。
このガザの殲滅が、せかいのほんとの諸悪の根源のように思った。
大量のむりくりの、皺寄せ。正しくないことを正しいと、やってはいけないのに、権威まで与え、堂々とやりまくってしまった。
犯罪者であった安倍氏をうやうやしく、国葬した国だ。正しくは『させた』だけど。
イスラエルとやはり、被る。

──私が若くなく、もう先があんまりないからだろう、子どものころからのせかいに対する苦しみ・疑問のほとんどを生んだラスボスの手前というか、正体が現れる寸前に思えてならない。

息をしてない赤子を見て、ケーキ食べても美味しくない。
だから、買わなかった。欲しくなかった。いまも。
多くのひとは息をしてない赤子を見ないほうを選び、ケーキを食べるのだろう。
私はばかだな。でもやっぱりいらねえ…。ケーキ、その他華やかなもの、これほどいびつに見えたらヤバイ…。
もちろん、この私には現時点とくに愛するひとはいません。そのことは私が冷たいということだろう、きっと。
でも、悲しみはこんなに心を消してしまう。
自分からは遠いひとたちにネットの情報だけで、一喜一憂する自分はよくばかにされた。すくない友人たちもあきれて離れていった。
わたしは近くの人を自分なりにしか助けれない。きっと大してだいじにはしていない。だけど、それでもいいだろと思う。生では見えない遠い人、会えない人の運命に一喜一憂しても。それは愛じゃない、自己満足とか、そこそこ詳細な分析、まるごと拒絶する。

頭がいいって何だろう。『イスラエル人は強いし賢いし、かなわない』とガザの人々が笑ってあきらめているとツイートで見た。ほんとう?かわからない。
私は嘘にも一喜一憂し、駆り立てられているかもしれない。だから、あきれられるのかもしれない。
運河を作るのにジャマだから、儲けられないから、退かすためにやっているらしい。ほんとうか?それならウクライナ、ロシアともつながっている。
第三次世界大戦になるからと、焦っているのか私は?
いや、なんでこのせかいで長生きしたいと思えるのか不思議に思う…。
健康と長生きはいいこと。うそだ。これをどうでもいいことのように端へ端へ退けて、いずれ無かったことにしようとして、みんなでそういう風にしているそのことが、このせかいを全然いい場所にできない。


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