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その言葉に愛はあるのか


仕事終わり、帰宅支度をしていたら後輩が後ろを通り過ぎていった。なんとなくその後ろ姿を見ていたら涙を拭う仕草をしていたように見えた。
今日は警報が出るほどの大雨。電車が止まるとか止まったとか。。
このまま気付かないふりをして帰ろうかと、ふと頭をよぎりながらもその背中を追いかけた。

話を聞くに、とある先輩にとても強い口調で注意をされたらしい。その先輩は好き嫌いがはっきりしており嫌いな子には(とりわけその子には)当たりが強い先輩だった。

“言われたことは正論だったし自分にも過失があったので注意されたこと自体は反省しているが言い方があまりにきつくてびっくりして涙が出てしまった。”と、その子は言った。
でもその場で泣いたわけではない。その場では我慢してこっそり裏で泣いていたのだ。(なので注意をした先輩は後輩が泣いたことを知らない)

注意することは大事だ。後輩を育てるための指導はその後輩のためになる。

しかし問題なのは言い方だ。
果たして泣かせる程強い口調で言う理由があったのだろうか。
強く言わなきゃ伝わらないとでも思っていたのか。愛ある叱りではなくストレス発散目的で怒りをぶつけたのではないのか。
その子の事情を汲み取ることや意見を聞くこともせずただ一方的だったという。

後輩はもちろんだがその先輩の方がむしろ気になってしまった。
思いやりの心は大人になってからも持つことができるのだろうか。
誰にでも厳しい態度をとるならまだいいが人を見て口調を変えるところがよろしくない。
注意するにしてもわざわざ威圧感を出さなくてもいいのに。。

それって損な生き方ではないだろうか。嫌われ役を無駄に買っている。生きづらくはないのか。むしろ言わない方がストレスで生きづらいということなのか。。私にはその感覚がさっぱり分からない。

後輩を注意するなと言う訳じゃなくて、萎縮させる様な言い方をあえてしなくてもいいのでは?

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