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自我を保つために書き連ねるどうしようもない日の日記

さて、帰国してから2週間が経過した。

メキシコのトゥルムに7日間滞在し、そこからアムステルダムに飛んで4日間過ごした。



気を抜くと鬱になりそうなろくでもない日々を送っているが、ろくでもないなりに豊富な人生経験のおかげで脳を騙しながら鬱に入らずに人間をやっている。
しらふになるのが怖い瞬間ってあるのね、いくつになっても。
狂っていかないと生きていけないのなら、私は世界に向いていないということかもしれない。




学びを重ねて気をつけていても予想外との遭遇はあるもので、他者からまるで物体のように扱われてしまったから驚いた。人格や感情のない人形のように。


仕事に打ち込んでみたり自分を磨くために行きたくないジムに部屋着のまま通ったり人を応援してみたり、他者にできるだけ寄り添い隣人を愛することを心がけていても、世界がそれを返してくれるとは限らないのだ。








ここまで書いてから食いしばりすぎて欠けた奥歯の一部の行方がわからないことに気がつきテーブルの上を探している。さっきティッシュにくるんでおいたのに。鼻噛んだティッシュと一緒くたにして捨ててたかも。くそ。





今はこんなどうしようもないことひとつで落ち込みそうになる精神状態だから恐ろしい。
「助けて〜」ってこんな気持ちかな。だとすると、何をどうされたいのか具体的には何もわからないな。


でもどんなに良いことも悪いことも自分の身に起こることは自分が世界に対して行ってきたことが帰ってきているのだ。

そう思ってきたし、まだそう思っていたい。


だから自分の行いを省みるしかない。
それからまた世界に優しくしたい。









トゥルムは良くも悪くもエネルギーに満ちていた。
旅人から少しでもぼったくってやろうという根性が激しく、タクシーはカルテルが指揮を取っているためかかなり強気で、メーターがないため5分の距離でも3000円くらい平気で請求してくるし、値段交渉しても乗ってから「やっぱり値上げするわ」なんてこともザラにあった。

それでも澄んだカリブ海のエメラルドやセノーテを会場としたアンダーグラウンドなパーティーには魅了された。

感覚が常に刺激されているから深いことを考えず脳死でそれを楽しむことができる。


澄んだ湖で見た美しいサンセット



とはいえパリピの集まりに体力が追いつかないから数年に一度でいい気もする。暑いし蚊も多いし。




トゥルムで生まれたての赤子が2人もいたから世界に「子供、本当に作らないの?可愛いよ?リミットあるよ???」と最後の一押しをされているように感じた。








子供という存在は可愛い。
子供という存在は好きだ。
友達の子供に哺乳瓶でミルクをあげてるときのあの何とも形容できない気持ちが好きだ。


それでも成熟していない人間なので自分が子供を産み育てる覚悟は持てない。







発生するであろう様々な責任を取りたくないだけかもしれない。




本当に、未熟で子どもでどうしようもないな。






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