「金のことを気にするのはダサい」という価値観の時代があったのかもしれない [ほぼ毎日書くコラム]

うちの父親はものの値段をあまり考えずに物を買う人だった。自分の買ったものの値段を大まかすら把握していない、なんてことはザラにあった。テレビが壊れた時には、家電量販店で大型テレビを値段を見ないでカードを切ったという逸話も残っている。なかなかの素っ頓狂エピソードだと僕は思う。
ただ、驚くほど物欲がない人で、外食を極端に嫌う性格だったため、別に家庭としては何ら問題なかった。そもそもあまり出費がない人だったのだ。

僕はこの父親の金銭感覚を普通ではない思っていた。でも、最近になって、世の中にはうちの父親のような人がそこそこいるんじゃないかと考えるようになった。
時々、会社経営者の方のインタビュー執筆をすることがある。インタビュー音声をいただいての執筆仕事で、名前が載るわけではないのであまり公表はしていないのだけど……。
そこで会社の歴史についての話が出ると「事業継承した時は大赤字だった」「利益が出ていないのに、先代経営者は毎晩社員を連れて酒を飲んでいた」なんてエピソードが出てくることは全く珍しくない。「そんな突飛なエピソードが社会で量産されてたまるか!」なんてことを思うのだけど、これが現実だ。

僕が知らないだけで、「金のことを気にするのはダサい」という価値観を持った人が一定数いるのではないだろうか? 一定より上の世代、特にうちに父親よりも年上の人たちに多くいる感じがしている。「宵越しの金は持たない」なんて言い回しが現在でも通じることを思えば、ありうる話かもしれない。

できることなら「金のことを気にするのはダサい」なんて価値観で生きていきたい、なんてことを思う。
「宵越しの金は持たない」なんて言って、手元にある金を全部使い果たす生活ができたらどんなに気楽だろうか。でも、現実的にはそんなことできやしない。手元の金を使い切ったら不安で眠れない夜がやってくること請け合いだ。想像しただけで胃が痛くなる。
「金のことを気にするのはダサい」とバンバン金を使っても、近いうちにきちんとお金が入ってくる。そんな確信に溢れている時代があったのかもしれない。なんだか羨ましい話だ。それと比べると、現代のなんとも世知辛いこと。なんだかモヤモヤした心持ちにならずにはいられないのだった。

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