ボイスアクターに賭けた10年前
あれは10年前のこと。
かつて業務委託を受けていた、とあるPBWの会社にいた頃でした。私は会社主催のオフイベントに参加し、その後に地元に帰宅。もちろん、深夜バスです。常にお金ないからね、いっちーさんは。
あの楽しかった時間を思い出しながらパソコンの画面を見ていると、仲のいいクリエイターさんから「ある相談」を受けました。
それは「各会場で頒布されたボイスドラマCDの出来が凄まじい」というご好評……ではなく、大不評でした。
自分はCDを頂いてなかったので今も確認できていないのですが、日を追うごとに、違う方から同じ相談を受けることに。また一度、また一度と増えていき、片手に余るほどの数になった時、私は自発的にお客様やクリエイターさんから感想を伺ってました。
これが引き金となり、私は「絶対に負けてはならない戦いに挑むことになる」のですが、これはまさに過去の記事における「人生で絶対に負けてはならない瞬間」のひとつとなったのです。
変革を求めない業界気質と向き合って
10年前というと、ボイスアクターさんが活躍する機材はとても高価で、録音環境を整えるための初期投資もバカにならない時代でした。正直、ボイス活動が波に乗ったとしても、それすらもペイできるかわからない。
そんな時代と知ってか知らずか、会社は漠然と「ボイスアクター」を募集していました。ただ、納品数が明らかに少ない。それはもう一目瞭然でした。
後に判明するのですが、現場では前任の幹部が大々的に募集した後に退社され、後任の方が「どうすれば活躍の場が作れるのかわからない」と困っていたと聞きました。
その頃にどなたかの売り込みがあり、「じゃあ、やってみるか」とボイスドラマのCD企画を丸投げしたところ、上記のような作品が出来上がった……というのが一連の経緯です。
全てを聞いた私は「ボイスアクターさんも財産ですよ、どこかで使いましょう!」と提案しました。
ただ、当時の会社はボイスアクターさんの活用には前向きでしたが、PBWでの運用は全く視野に入れていませんでした。あくまで世界観に影響を与えにくいノベルゲームなどでの運用に限定する方向性です。
PBWの前身は「PBeM(プレイ・バイ・eメール)」であり、「PBM(プレイ・バイ・メール)」だったため、ボイス……つまりは聴覚に訴えかけるアプローチが客層として刺さらない、もしくは不要な存在と判断されるのではないかという懸念が現場にはあったのです。
当時の状況も加味して勝負に出た
しかし、ちょうどこの時期。
本丸であるPBWへのテコ入れとして、大々的にWEB広告を打つなどの施策をし、顧客の獲得に動いている時期でした。私は直感的に「この潮流に乗れそうな気がする」と思い、ある提案をするのです。
「俺が試験的にミニボイスドラマを作って、無料参加の大規模企画を盛り上げますよ!」
ボイスアクターさんに「当社で活躍できる可能性」を見せなければ、大量離脱されてしまう危険を感じていました。
さらに、このまま放っておけば「会社がボイスアクターというカテゴリを見限って、全てを放棄してしまうかもしれない」という懸念すらあったのです。
だから、以下の全部をやると伝えました。
企画の立案
予算の編成
脚本の執筆
脚本の監修依頼
ボイス収録の指示
ボイスドラマの編集
ちなみに「ミニ」の意味は「短時間のドラマ」を指します。当時の音声データは大きすぎて、掲載できる容量に限界があったのです。
あと、私が意図して「お客様にサラッと聞いてもらえる、ギリギリのラインを狙った」のもあります。
無論、あのCDよりもクオリティーアップすることを条件に含めました。
10年後に作ったボイスドラマですが、要するにコレを当時やってたということです。
理不尽にも思える失敗の代償
必死のプレゼンの結果、会社や上層部は「わかった、やってみてくれ」と首を縦に振ってくれました。
しかし、ひとつ条件がついたのです。
「このボイスドラマを同時掲載したページのビュー数が伸びなかったら『失敗』と判断し、PBWにおいて、二度とボイス商品は取り扱わない」
この通達を聞いた瞬間、私は悟りました。
「人生には絶対に失敗できない瞬間がある」ということを。
「この企画が失敗したら、お前ともどもボイスアクターというカテゴリを切り捨てる」
会社が無責任にボイスアクターを集めておきながら、場末のクリエイターが推進した運用案の成否で、ボイスアクター全員の運命が決まってしまうという……ある意味で理不尽な条件を突きつけられてしまったのです。
しかも、成功したとて、ボイスアクターさんの活躍が確約される訳でなく、おそらくはミニボイスドラマが続くのみ……
でも、ここで俺が勝たないと、ボイスアクターさんの命脈を断ち切るのは俺なんです。皆さんの活躍を祈って、活躍の可能性を拡大すべく動いた俺が、全員を引導に渡すかもしれない。
しかし、勝てば可能性は残せる。
そう信じて、ボイスアクターさんにご依頼をし、ミニボイスドラマが掲載されることになったのです。
ただ、この先はお話するまでもないでしょう。
もしリクエストがあれば、またその機会に。
なんてったって、大昔の話ですから。
覚悟の瞬間から10年後
今、私はフリーランスの、箸にも棒にも掛からぬクリエイター。
過去、大きな戦いで協力してくれた皆さんのおかげで、今という未来を迎えました。
今のPBW業界で、ボイス商品のない作品ってあります?
俺はこんな時代が来るとは、そんな潮流が生まれるとは……全く想像もしてませんでした。
あの後に起こったコト……
これはあくまで結果論ですが、「時代が進むにつれて収録機器がやや安価になり、ボイスアクターさんの初期投資費が少なく済むようになった」ことに加え、さらに「世間一般でもボイス活動が流行した」ということも追い風となり、いつしか「PBWにボイス商品!」は当たり前の光景になっていったのです。
今でもビックリしてます。
「なんだ、この世界線……? 俺は、夢でも見てるのか??」
たぶん、あの世に旅立つその瞬間まで、俺は首を傾げているでしょう。
Rivers In the Desert
ここまで偉そうに自分語りしましたが……
俺は今も、誰かに感謝してほしい訳じゃない。
無為に放置されていた人財を活用したかった。
あの時、ボイスアクターとして頑張ってる人の活躍の場を広げてあげたかった。可能性を見せてあげたかった。
俺の究極の夢は「あの会社からプロの声優を輩出すること」でしたが、それは叶わないと会社に言われました。声優業界の慣習などを垣間見た上司が、私に笑って話してくれました。
でも、俺はいまだに諦められないんです。
PBW業界から大人気のボイスアクター、いや声優さんをメジャーなステージへと輩出することは、業界全体の活性化に繋がるはずだと。
新しいお客様を呼ぶこともできる。
かつてのお客様に、今のPBWの良さを知ってもらえる。
また、ボイスアクターさんも夢を見ることができる。
だから、実際には今は何も成し得ていない俺が……今もフリーランスという肩書きにしがみついて、恥を晒しながら生きている。
まだ、諦めてない「願いへ」
最後に。
私は恩人と呼べる人に、こう評されました。
「シナリオディレクターとか、サウンドプロデューサーになった瞬間、自分の個性を消したシナリオばかりを意図的に書くようになって。とにかくスケジューリングとかクリエイターさんへの根回しとか、そういうのばっかりに専念して、それに特化した人になったね。でも、それが最大の長所になっていった」と。
いいえ、違うんです。
俺に文才はない。とっくの昔にわかってた。
ただ、勝てないとわかった瞬間、コイツは勝手に「自分の勝てる土俵」を社内環境に作り上げて、一人横綱として君臨し、他の人に「かかってこんかい!」って言ってただけ。
そうしないと生き残れなかったから。
卑怯者、ここに極まれりですよ。笑っちゃいますよね?
でもね、さっきの究極の夢の話は……ずっと胸に閉まってある。
今でも声優業界、プロの世界のことはあまり知らない。
だけど「できない」と思ったら「絶対にできない」ってことは、10年前に自分が骨身に染みるほど体験したから。
俺はいつでもやれるよ。
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