見出し画像

10年後にはない風景~近所の激安商店街の話~

私は、「横浜三大商店街」「ハマのアメ横」と呼ばれる横浜市保土ヶ谷区にある「洪福寺松原商店街」(以下、「松原商店街」と記述する)の近所に住んでいる。
松原商店街では年末になると、正月用のマグロを買うために、魚幸商店(松原商店街の看板的な存在である魚屋)にたくさんの人が集まり、活気を通り過ぎて独自の緊張感が漂う。マグロを売る店員が声を張り上げている。
ある年の年末に、前日遅くまで仕事をして心も身体も疲れた状態でふらっと来たことがあるのだが、こんな緊張感の高い時に来るべきではなかったと後悔したくらいだ。

周りの店では、正月飾りやおせちなど、正月仕様の陳列で我々客を迎えてくれる。魚幸商店に行く人を規制するために、警備員が配置され列が作られる。その列は、商店街の敷地の外にはみ出て、国道16号線沿いの歩道に何十メートルも続いている。

画像1

たくさんの客がロープで楕円の形に囲われて移動するのだが、それはまるで電車ごっこのようで見ていて少し笑ってしまう。

本記事では、私の家の近所にある松原商店街という今でも繁盛している商店街を紹介し、「商店街で買い物をする楽しみ」について考えてみたい。

私は40代男性なのだが、家で使う食材など日用品の買い物に商店街を使っている。買い物をする場所は、近所にあるイオンや食品スーパー・コンビニでも構わないし実際にそれらも利用している。ネット通販もよく利用する。

ただし、食品スーパーなどと比べて商店街では、こだわって探してみるとこの店でしか買えない美味しいものに出会うことができる。しかも激安で。
また、松原商店街には八百屋が5店舗、魚屋が4店舗あるが、お店毎に商品ラインナップや陳列にも個性があり、季節毎に置いている商品も変わるので、訪れる度に新しい発見がある。サービスが均一化しておらず、意外なタイミングで店員に親切な説明をしてもらいいい物が買えることもある。また、先ほどの魚幸水産では、マグロの刺身を個別交渉して買うのだが、「うかうかしていたら他の客にいいマグロを取られた」「こわもての店員に気に入ってもらえてお得に買えた」など新鮮な体験ができる。

長い間に独自の進化をしてきた商店街の店に、私は週1、2度は通っている。横浜市の今の家にに引っ越してくるまでの私の人生の中では、商店街はあまり縁のないものだった。しかし今は商店街の近くに住み、激安のもの、その季節その時にしか買えない旬なものを買えるようになった。この場所でしか出会えない体験、発見ができるこの商店街が私は大好きである。

以下では具体的に、商店街に通ってどんな体験をして、どんなことに気づいたかを話したい。

画像2

画像3

京町商店は、食品・お菓子などを扱っている。プラスチックケースの上に置いたダンボールの中に商品を入れている。誰かに教えてもらった訳ではないのだが、ピンクの札がお買い得商品の印とある日に気づいた。「びっくりもち」という名前の大きめの大福(5個入り。350円でそこそこうまい!)を時々買うのだが、この店以外で買う方法があるのかは分からない。

画像4

画像5

商店街に通っていると旬の食材に敏感になる。夏になるとスイカを毎週のように買いに行く。一番旬の時期は値段も安いし味もいい。1玉1,300円以内のものがないか八百屋の各店舗を見比べることになる。
冬は焼きイモ。五十貝商店(八百屋)で、石焼きイモを作っている(特大のイモが2~3個で580円~680円)。旬の時期にはスイートポテトのようにしっとりとして甘い。「今作っている最中なのですが、予約しますか?」と言われて待つ場合があるので、買い物の最初に立ち寄ることが効率よく買い物をするためにポイントとなる。

それから、おでん。三増屋は練り物が本当に美味しい。1袋500円のおでんセットを買い、卵や大根、ちくわぶを食材で買って追加して我が家のおでんにする。残念ながら数年前に閉店してしまった。

画像6


画像7


泉屋菓子店には、名物お菓子のミルクピーがあり、お友達の家にお邪魔する時のちょっとしたお土産に最適だ。サクッとした味わいで中にピーナッツが入っている。食べ始めると止められない。
お店の写真を見ていただくと、「ラストチャンス」という紙と札がたくさん並んでいる。仰々しい感じがするが、何度もこの店に通ったある日に気付いたことがある。この紙と札は、実は1日交代で変わっており「ラストチャンス」のところが、「本日限り」となったり、「土日大サービス」となっていることがある。私が知る限りでは、「ラストチャンス」の日と「土日大サービス」の日で、商品ラインナップや価格が違うということはない。何のために紙と札を変えているかは謎である。

画像8

最後に紹介するのが和光豆腐店。メインの目的は、「おとめ納豆」という横浜の食品会社で作っている昔ながらの納豆を買うこと。ついでに店で作っている豆腐も購入する。写真のおじいちゃんが袋詰めをしている間に二言三言、ちょっとした世間話をしてくれるのが、普段お店で店員さんと話す習慣のない私には新鮮だった。素朴な笑顔が素敵だった。ただ、実はこのお店はテレビ番組「アド街ック天国」で2016年に特集された直後に閉店してしまった。理由は気になって、他のお店の方に聞いたこともあるが、ここで書くのはやめておく。

洪福寺松原商店街は、横浜市のこの場所で、どのような経緯で発展してきたのだろうか。
洪福寺松原商店街は、1960年に「松原安売り商店街」と「洪福寺商栄会」が合併して誕生した。2つの名前を合わせて、「洪福寺松原商店街」となった。誕生してから今年で61年目である。
戦後、松原商店街のすぐ地区(横浜市西区南浅間町)に「新天地遊郭」という慰安所が出来て、日本に駐在している連合国軍兵が利用していたとのことである。1958年に売春防止法が出来てからは廃業し、旅館やスナックとして営業するようになった。(参考資料(3))

画像10

((注釈)上記写真は参考資料(3)より引用)

画像11

((注釈)駐車場になった現在の写真。周りも今は閑静な住宅街だ)

また、「新天地桜会稲荷神社」という神社があり、石にお店の名前が彫られていた。神社が存在していたのだが、数年前に駐車場になった。当時の人が心の拠り所にしていた神社を廃止していいのかとも感じるし、一方、更地にしたいという近隣住民の方の気持ちも分かるので微妙なところだ。

いずれにしても、「新天地遊郭」が近くにあったことにより人通りが増えて、松原商店街が栄えたというのが1つの答えのようだ。

私は横浜市に住んで20年、今の保土ヶ谷区に住んで10年となるが、松原商店街が近くにあり、歴史がある下町であるこの場所に住むことができてよかったと思う。ただの住宅街に見えるが実はディープなスポットが点在しているこの街に。

これからもずっと通い続けたいと考えていたお店が廃業することもある。また、今回よくよく調べてみたところ「新天地遊郭」以外にも歴史のある場所が私が住んでいた間になくなり、今までよく見ていなかったことを残念に思った。
今見ている風景も、「10年後にはない風景」なのかもしれない。

----------------------------------------------------------------------------------
<以下は本文外>
※なお、本記事の写真は私自身が撮り溜めていたもので古いものがある。

参考文献
(1)満薗勇「商店街はいま必要なのか」(2015年)
(2)はまれぽ 「ハマのアメ横」洪福寺松原商店街の歴史とは?
https://hamarepo.com/story.php?page_no=1&story_id=5482
(3)かつて西横浜駅界わいにあった歓楽街「新天地カフェ」とは?
https://hamarepo.com/story.php?page_no=0&story_id=4905

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?