折口信夫『死者の書・身毒丸』

再読。難解さは相変わらずだけれども、今回はなかなか楽しめて一気読み。

それにしても冒頭、大津皇子の霊が蘇るところの描写は本当に素晴らしい。こんなふうに物語を綴った作家は折口以外にいないだろう。

また、物語の中でその役割が良くわからないのが大伴家持や恵美押勝らの存在だけれども、彼らの視点から描かれる律令都市の様子は、古代の風を感じさせてこの物語に膨らみを持たせている。

今回僕なりに理解したこの物語は、日本の神道と外来思想である仏教の融合がテーマなのではないかな。

中将姫が大津皇子の俤(おもかげ)を二上山に見て、大津皇子の身体を包んであげたいと曼荼羅を織り上げる。ここに、古来神道と外来仏教の融和を、折口は見ている。

日本という国家の骨格が組み上がる頃、そこにはすでに仏教思想が根強く絡みついている。それを丁寧に剥がし取って、日本のプロトタイプを析出するような方法を、折口は取らない。分かち難く結びついたものとして、仏教を神道と結びつけて、そこを日本という国家のスタート地点とする。

併録の「山越しの阿弥陀像の画因」を併せ読むと、折口の意図がそのようなものであったのかなあという思いがする。自信はないけれど。

「山越しの…」における、春分秋分の日に太陽を祀る風習が、彼岸という仏教行事と結びついている指摘は、民俗学者・折口らしい指摘で、そこに外来思想による在来思想の侵犯はなく、両者は親しく融合したというのが、折口の古代日本観なのだろう。

その説の当否は僕なんかには分からないけれど、そういった観念を、二上山に眠る祖神と、現代(と言っても奈良時代なんやけど)の斎女との魂の交歓の物語として、幻想的に紡ぎ上げた作品のように読みました。

「身毒丸」はさらに良くわからない。伝説と歴史を分けるのは難しく、伝説の生まれてくる場を描きたかった、みたいなことが巻末の“附言”で言われているように思うけれど、これも折口の学術的な背景を踏まえて読む必要があるんだろうな。

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