『回路』黒沢清(YouTube)

新作『蛇の道』公開記念で、黒沢監督の過去作品を期間限定YouTube公開する企画の第二弾。

『回路』は2001年の作品、この年僕は転職して神戸からかなり田舎の町へ職場を変えた。なので、仕事帰りに三宮や梅田で映画を観る、なんてことができなくなった年。
加えて、娘が産まれて、家でレンタルビデオを観ることもままならない暮らしが始まった年。

というわけでこの作品は劇場でもビデオでも観る機会を逸していたので、今回が初見。

いやー、面白かった。

インターネット関係ない

当時の宣伝から受けた印象は、インターネットを利用して増殖する何か、みたいな内容なのかな、というものだった。確かに物語冒頭、インターネットがそれなりに重要な役割を果たすけれども、ほんま最初だけ。

今観てみると、ダイアルアップモデムのガーピーという通信音とか、懐かしくて涙が出そうになる。まさかスマホでいつでもネットに接続しているような社会になるとはね。

インターネットのくだりは、どうも出資者からの要請もあったようだけれど、典型的アナログ人間の黒沢清はおそらく、十分に社会に普及したインターネットなるものへのプリミティブな嫌悪感があったんじゃなかろうか。

繋がっているようで繋がっていない、そんな欺瞞的な関係性。それはこの映画のテーマの一つでもあって、もう少しネットを巧く取り入れた方向の可能性もありそうやけど、黒沢清やからしゃーないね。

倫理的な価値観

この映画は、あの世とこの世のせめぎ合いというか、この世があの世に侵蝕される物語。

絶望的な展開の中でも、ヒロインは前に進み続ける。あの世に屈したり、諦めたりしようとしない。

あの世とはすなわち、死。この作品では次々と人が死ぬ。しかしモラリスト黒沢清であるから、決して死を前にして膝まづいたりはしない。生き続けなければならないというメッセージを発し続ける。

もう一つ。ヒロインの目の前で塔から女性が投身自殺する場面がある。飛び降りてから地面に叩きつけられるまで、ノーカットで撮ってる場面。もちろん特撮なんだけど。

このシーンを観て、数年前SNSで拡散された、投身自殺の動画を想い出した。どちらも絵面(えづら)的には似ているのだけれど、黒沢監督がこのシーンに籠めたものと、興味本位で動画を拡散させたやつらとの、人間的な品性の差。やはり黒沢清はモラリストなのである。

そんなに分かりづらいですか?

今作のネットの感想をいくつかネットで拾うと、意味が分からない、というものが少なからず目に付くけれど…そんなに分かりづらいかなあ?
もちろんSFではないので、細部まできっちり合理的な説明が付くわけではないので、そういう意味では分からないことの多い作品世界ではあるけれど、その分からなさは鑑賞に何ら障壁となっていないように思えるのだけれど。幻想小説的な作品と受け止めて問題ないと思うけどなあ。


ところで、noteに『神田川淫乱戦争』から2015年の『岸辺の旅』までほぼ全作の黒沢清作品レビューを書いているアカウントがあった。

昔まだブログもない頃に、ものすごく充実した黒沢清ファンサイトがあったことなど懐かしく思い出す。

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