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『告別』福永武彦

告別への予感はその時もう生まれていた筈だ。しかしそれはもっと以前に、もっともっと遠い昔に既に生まれていたのかもしれない――異国で識り合った女・マチルダとの深い愛を諦め妻と2人の娘のいる家庭へ戻った上條慎吾。娘・夏子の自殺、上條の死、二つの死は響き合い世界は暗く展かれてゆく。福永武彦の代表的中篇小説「告別」、「形見分け」を併録。

久しぶりの再読、家庭や社会から孤立した一人の男の冥い精神、愛の不可能性、福永らしい物語。身勝手といえば身勝手なんだけれど、好きなんだよなあ、こういう世界。

解説の菅野昭正は『忘却の河』との類似性を盛んに書き立てているけれど、語り手や時制の異なる3つの語りが絡み合いながら進んでいくのは、後の『海市』へと発展していくフーガ的な物語として、非常に効果を上げていると思う。

「形見分け」も、2つの旋律からなるポリフォニックなショート・ストーリー。1つは句読点をつけない文章で、それが不確かな夢のような記憶の儚さを醸し出していて、巧い。

物語は外国のスリラーやサスペンスのような、謎に満ちた冒頭から次第に隠されていたものが明らかになる筋立てで、ミステリマニアだった福永の面目躍如といったところも。

ラスト、ある1つの地点に物語は収斂するけれど、そうではない結末も十分あり得たはずで、どちらともつかないリドル・ストーリー的な結末になっていたら良かったのに、とも思う。

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