中村眞一郎『夏』
と、引用を続けたのは、読み終えてこの小説とはいったいどんな話だったのだろうかと、途方に暮れているからである。未読の読者は、これらの文章からこの作品の輪郭を掴み取って欲しい。以下に記す文章は「全く分からなかった」という告白でしかない。
福永武彦が言う、“愛とエロスとを比較研究した独創的な小説”という表現が一番しっくり来るかなあ。
前半は、主人公が繰り広げる、幾人もの女性たちとの愛情なき性愛について、まさに“解剖学的”な描写が延々と続く。著者言うところの“地獄めぐり”なんだろうけれど、その割に主人公はちっとも苦しんでいないので、とても地獄めぐりをしているようには感じられない。
愛のないセックスを咎め立てするような謹言居士ではないけれど、描かれるセックスがいったいどのような文学的興趣を生み出しているのかと考えても、何にも感じられない。
7章以降、“地獄から脱出する愛の導き”が描かれる際には、さすがに主人公の精神の高揚も描写されるんだけれども、やはり全体的に分析的で、とても愛の導きというようなものには思えない。
不幸な夫婦生活の破綻に起因する神経症(著者の中村眞一郎自身の体験でもあり、作中の主人公にも適用する)からの快復がテーマらしいけれども、どうも最後まで作品世界に入り込めないままだった。
この作品に果たして愛は描かれていたのだろうか。そんなふうに感じてしまうのは、僕の中の“ロマンティック・ラヴ・イデオロギィ”が邪魔をしているせいなのかもしれない。