『MOTコレクション』東京都現代美術館
デイヴィッド・ホックニー展が大盛況の現美へ行きました。久しぶりというか、二十代の頃に一度来たきりのような気がします。その後もう一回くらい来たことあるかな?
コレクション展のチケットはネットでは買えないそうなので、ホックニー当日券求める人たちの長い列に連なってチケット購入。
ホックニーは入場待ちもかなりの行列でしたがコレクションはそんなこともなくスムーズな入場。
被膜虚実 Membrane of the Time
生誕100年 サム・フランシス 100th Anniversary of Birth | Sam FRANCIS
横尾忠則のゆかりの作家 The Artists that Inspired YOKOO Tadanori
特集展示 横尾忠則―水のように Special feature | YOKOO Tadanori - Ever Changing, Like Water
のセクションに分かれた展示となっています。
被膜虚実 Membrane of the Time
現代美術館のコレクションから1980年代以降の作品を選んでほぼ時系列に並べた展示。
知らない作家が多かった(というか知ってるのは伊庭靖子と名和晃平くらい)けれど、とても楽しかった。
特に印象に残った作家・作品を上げると
「約束」石原 友明
とてつもなく大きな紙(つなぎ目を探したけどわからなかった…一枚の紙?)に、床の石をフロッタージュした作品。
と作者自身の解説がネットにありましたが、とにかく大きさに圧倒されました。後で観るサム・フランシスもそうですが、大きな作品というのは、その大きさ自体が何かこう、観るものを圧倒しますね。リアルに体験しないと味わえない感覚。
「TOKYO SUBURBIA 東京郊外」ホンマタカシ
東京郊外の街の光景や人を写したフォトグラフ・シリーズ。郊外の街の佇まいは生活感に溢れていて、人がいなくても確かにここで生活が営まれているのだなあというのが感じられて、そして何故か少し切なくなってしまいました。生きるということの、非ドラマ性というか、現実に縛り付けられている感じみたいなのがふと沸き起こってきて。自分自身もまたそんな生活者の一人として、意味のない毎日を生きているのかもしれない、とか。
「Untitled 2009-02」伊庭靖子
僕の好きな藝術家たちシリーズでも取り上げた伊庭さん、この作品は都美術館の個展でも観たような気がするけど、改めてやっぱりこの独特の質感、そこには観察し描写するという人間の知覚のフィルタがかかっているという事態を、この独特の質感によって暴露しているようで面白い。一見リアルに見えて、単なる(と言って良いのか分からないけれど)リアリズムではないところの面白さ。
名和晃平さんの作品は数点まとまって展示されていました。
単に凝った細工やなあ、くらいにしか受け止めてなかった名和さんの作品。今回、解説のキャプションで、人間の認識の仕方をテーマにしていると教えられて、少し名和さんの作品の魅力が垣間見えた気がしました。いつかまとまった展覧会でしっかり観てみたい。
「若夫婦と黄色い家」千葉正也
なんとなく男女の造形に見えるところが面白い。そしてモチーフに、夫婦関係についての批評的なものがあるような、ないような。
「山羊を抱く/貧しき文法」百瀬文
映像作品。これが今回一番印象に残りました。
キャプションで解説されている通り、男性の論理による共同体からの性的な抑圧、がテーマなのだけれど、二重にも三重にも批評的な思索が張り巡らされていて、唸りました。単なるアジテーションではない重層性。素晴らしかった。
そしてサム・フランシス、もしかしたら初めてかな?京都近代美術館でのアンフォルメル展で観たかもしれないけど、こんな大きな作品は初めて。
素晴らしかった。前は、ポロックのエピゴーネンでしょみたいな捉え方しか出来てなかったけど、今回じっくり観れて、そんな浅はかな考えは恥ずかしくなりました。
ポロックのオールオーバーとは違って、余白に叙情があって、色も個性的で。また観たい。
そして横尾忠則は…笑っちゃうくらい横尾ワールドでした。あんまり好きじゃないんやけど、とにかく圧倒されるパワーに満ちているのは間違いない。好きとか嫌いとかは度外視して、すごいアーティストやなあと改めて。
横尾作品と宮島達男さんのデジタルカウンターとのコラボで締めくくられるのですが、それはちょっとピンとこなかったな。
ミュージアムショップもホックニー一色なので、MOTのキーホルダーだけ買って現代美術館を後にしました。
またゆっくり訪れたいな。今度は二十何年も間隔を空けないようにしないと体力がなくなっちゃう。
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