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【鉄面皮日記】23/06/01.生活の柄

日記とは、やはり日の記録を書き留めていくわけで、毎日が基本であろう。
が、かなりの確率で、日常というものは常日頃のコトであり、特段書き留めておくようなスペシャルはない。
毎回、特別念入りに歯を磨いただとか、お腹が快調だったので一本糞を捻り出したとか、そんな類いの事を記録する必要はないのである。
否、そこに意味を見出そうとするコトそれ自体は悪いコトではない。
自身が白けてしまわなければ、それでいいのかも知れない。
白け、それが一番自信を失落させ、何事も無感情にさせ、鬱へと誘う悪癖である。
太宰のいうトカトントン、それが物事を悪い方向へ転換させてしまう暗転への調べなのだ。
負けるもんか、同じ日なんてないのだよ、よしんば同じ様に見えたとしても、云々
いやしかし少し嗚咽が、ここはそう感じたままがいいぞ、がんばろうと思うな、
変わり映えのしない毎日、遣り過ごすばかり、怠惰で無気力、今日の仕事も辛かった、
それが正直でいいじゃないか。
この世知辛い世間、お互いせめて嘘だけはつかないでいこうじゃないか。

そうして月末月初、我が生活のためのささやかなアルバイトも、かなり過酷でありました。
忙しい時と暇な時の時給が変わらないのて不思議だよね。
まぁそれは雇い主の方が深刻か、忙しい時だけ人を雇いたいもんね。
配送仕分けのベルトコンベアー、海外向けの荷は色別のラベルが貼ってあり、無意識に宛先のカゴ車へと持っていける。
少しばかりチンパンジーにでもなった気分だが、知能指数が低くても、色盲でなければ勝手に身体は動く。
そこへ地域別という項目が入ってくると、途端にややこしくなってきて、日本全土各浦々の荷を特定の場所へと捌いてく。
その荷がてんでバラバラになってやってくると、まるで試されているような気分になって、もうパズルをやってるようで、ひっきりなしに運ばれてくる荷を反射神経を駆使し、あちこちへ蟻のように仕分けていくのだ。
そこで何かを見出そうという者もいる。
パレット(荷を載せる台)にこれよとばかりに大小さまざまの箱を器用に組み、見事に均衡が取れた塊をつくりあげる。
それぞれのサイズの箱にそういった法則があって、今までの経験値で動いていく熟練の人たち。
その道のプロフィッシュナルと呼んで差し支えないだろう。
でもですが、生憎ぼくはプロにはなりたくない。
あらゆる事柄に於いて、アマチュアが一番心地よいという気質なのだ。
厭だ、小慣れた熟練にはなりたくない、とその所業を眺めていてそう思った。
それがどうしてなのかうまく説明できないけれど、嫌悪感が優位に立ったのだ。
だからこうしていつまでも中途半端な立ち位置なのだろうが、まず先にそこに埋もれてしまいたくないという気持ちが強いのかも知れない。
だってどこにいても自分の居場所だと思えたコトがないのだもの、いつも仮でしかないのでそれでいいと思っている。
けれどもそういったプロの仕事を成し得る人たちに憧憬している自分もいる。
そりゃカッケーでしょ、職人さんは石の上にも三年ですもの、辛抱と忍耐で形成されるアイデンティティ、ちょっと怖いけど(それが崩れてしまった場合)それはそれで唯一無二だ。
羨んでみても自分にその素養がないので仕方がなく根無草だ。
もし花が咲いたら種を飛ばしてどこぞかに飛んでいこう。