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【鉄面皮日記】22/08/05.Change is Eternal!

日々は淡々と、いわゆる誰が居なくなろうが誕生しようが、誰かのご機嫌を伺うでもなく、ましてや他者のコトなどどうでもよく、云うまでもなく繰り返し、どんどん糸を巻いていき、巻き切ったところで息の根を止めていくのだ。
死神がいたとしたならば、コト切れた糸を嬉しそうに発見するのだ。
ほつれたところは知らぬ顔、紡いだ箇所に特別の感情も込めず、ただ糸は終わりぶらんぶらんと垂れ下がり、それで終いなのだ。

毎日が同じハズはない、そう見えるとしたら何かを端折っているのだろう。
でも同じだ、囚われた者のように繰り返しで同じ生業を続けていく。
同じ色ばかり見ていると、だんだんその色は褪せていき、カラーだったのにモノクロ、或いはセピアに燻んでいく。
どうやら生活も同じようで、最初はキラキラしていたのに繰り返すコトでつまらないものに成り果てる。
新鮮でなくなったらどうすればいいのだろうか。

飽きっぽい性質は変わらない。
繰り返しは安心を得るという側面もあるが、それを逸脱しなければ牢獄のようで、ある段階を経ると逃げ出したくなって不安に陥るのである。
永遠が信じられないのかも知れないし、瞬間にだけ永遠は存在するような気もする。
少なくとも繰り返すことが永遠性を保持するわけではない。
どんどん変わっていく変身、変態、メタモルフォーゼは、禊のように永遠性を抱いているような気がする。

だからといって君を忘れたワケじゃない、
その瞬間は永遠だったのだから、たぶん永劫に愛しているのだ。
7月は猫が去って、梅雨が舞い戻り、それから相変わらず労働に従事していた。
仕事と労働? 
その課題は放置したまま、繰り返すコトで擦り切れていき同じ穴に落とされていく。
仕事帰りに見た虹、部屋から見える月、お酒を摂取して非日常を取り戻す。
漫画みたいなニュースばかりでコミック雑誌なんていらない。
そしてやっぱりGrateful Deadが、Jerry Weekが、お盆への道標。
一週間くらい前からセミが鳴き始めた。
もう夏も終わりなのだ。

Down By The River