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『永遠の門 ゴッホの見た未来』(2018) + 1

"At Eternity's Gate" #一骨画

『永遠の門 ゴッホの見た未来』(2018) "At Eternity's Gate"
監督: ジュリアン・シュナーベル
出演: ウィレム・デフォー、ルパート・フレンド、マッツ・ミケルセン、オスカー・アイザック

1977年、愛知県美術館「ヴァン・ゴッホ展」
当時10歳にも満たない僕は行く。
厚塗りされ瘡蓋のように膨れたそれは絵というより、削り出した彫刻に近い感じだった。
無数の点と線の集合体、画が構成されるための要素、その情報量の過多に目が眩む。
そして一番覚えているのが、ゴッホてたいして絵上手くないんだなァ、というコト。
もちろん何かと比較しての感想なのだろうが、上手下手で分類する稚拙さが今では恥ずかしい。
でもいまだにそのパンフレット画集を大切に持っている。
一度でも本物に触れれたというコトが嬉しいし、両親にも感謝である。
(たぶん自ら美術館へ行くという素養はないので、親に無理矢理連れていかれたに違いない)

この映画は公開当初(2018年) アテもなくふらりと立ち寄った単館映画館で観た。
デフォーが主役だと気付いたのは、始まってからだった。
ちょうど自分も絵らしきものを描こうとしていた矢先だったので、ゴッホというワードに胸が高鳴った。
デフォーの聖者(と狂人の紙一重)ぶりが堪能できる。
彼は振り切っているので、善でも悪でも如何様にもギリギリ寸前までいく。
初めて見たのが「ラブレス(1982)」「ストリート・オブ・ファイヤー(1984)」どちらもかなりマッドな役どころだった。
そして「プラトーン(1986)」で内に秘める善者エリアスを好演、相手方にトム・ベレンジャー扮するバーンズ、こころの光と闇が交錯する。
「最後の誘惑:The Last Temptation of Christ(1988)」キリスト役は真骨頂だった。人の業を背負い身代わりとなって磔にされるジーザスの隙を描く。
徹底的な聖者、反対に極悪人、どちらも振り切って演じるので諸刃であるが、切れ味はどちらも素晴らしい。
ポール・シュレイダー監督「ドッグ・イート・ドッグ(2016)」は狂っていた。
「スピード2」「スパイダーマン」手を抜いていなかった、ジャック・ニコルソン的なナイスアプローチ。

ベタ褒め、手放しで信頼できる役者ウィレム・デフォー演じるゴッホ、ただではいかない。

Vincent Willem van Gogh (1853~1890年/37歳没)
伝道師の夢を断たれ、1879年頃から絵を描き始めているので、画家活動は10年にも満たない。
絵がまったく売れず、弟テオの援助で辛うじて生活している。

この映画は、パリ時代(1986~88) それからアルル(~1989) ゴーギャンとの交友、共同生活、冬に起きる左耳の切断、精神病院へ収容、サン=レミ療養所(~1990)、謎の銃槍による死、

といった史実と共に進行する。

ゴーギャンがどこか「作画旅行へ行きたい、」と言うと「日本に行こう!」というゴッホがいい。日本画浮世絵が好きだった彼の一面が垣間見れる。

死後、棺の周囲に置かれた絵画を渋々げに持ち帰る参列者、とても悲しいじゃないか。

そして20世紀の高騰が、不出世の画家ゴッホに影を落とす。

彼はなぜ描き続ける? 神に選ばれたのだろうか?

ここでも、"選ばれてあることの恍惚と不安二つ我にあり"にぶつかった。

『世界で一番ゴッホを描いた男』(2016)

こちらも合わせて観て欲しい作品。
深圳市大芬(ダーフェン)。
世界最大の「油画村」で、ゴッホの複製画を20年描き続けた男の物語。
多くのことを考えさせられる映画だった。

芸術とはいったい。

それを悟るために描き続けなければならないのか。

答などあるわけないけれど。

「絵は行為なんだ。早く描けば描くほど、気分がいい」

というゴッホの言葉に、何かがある。