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【鉄面皮日記】22/09/29.せいせいるてん。

9/25.亀山にて。

ここに座るまでにどれだけ掛かっただろう。
書けないわけでも書きたくないわけでもなく、ただどうにも腰が座らないからだ。
現在の仕事も4ヶ月経過し、その都度に面白おかしいお話もあったり、少しはマシになった懐具合に比例して仕事帰りに居酒屋へ寄り少し酩酊したり、書きたいことは毎日増えていき、布団に潜り込んでは頭の中で反芻して、それで終い。
要はただ日々の暮らしを続けていってるだけで、見た目は何もしてやしない、繰り返しを消化しているに過ぎない。
朝、遅刻しそうになり全力で自転車漕いで道すがら、ふと何をやっているのだろうと立ち止まる。
この道は何度も通った、ある時は新鮮であり、ある時は絶望で、またある時は泣きべそだった。
でも今は、遅刻しそうで頭の中はからっぽで、ただ無心に自転車を疾走させているだけなのだった。
小慣れ、反復させた通勤路が、僕という存在を打ち消し、ループさせている。
今が今でなくても、昨日でも明日でも、はたまた何日後でも同じだと云っている。
出勤したらこれまた同じような事件が同じように起こって、それは事件ではなくただの事象だと告げている。
微妙に変化はしていたとしても、それほど違いはなく、やはり予定通りに同じ事象が繰り返されるのだ。
終わりのない毎日が牢獄と思えてきて、その思いを打ち消すことができなくなる。
僕は蟹工船に乗って労働してるのだ、苦役を終えるまで下船できない。
若しくは、同じ毎日を繰り返し生きざるえない流刑であり、始まりから終わりまで無限ループし続けている。
いいだろう、甘んじて罰を受け入れよう、赦しが得られるまで僕はここに投獄されるのだ。
労働を終えるといつものように酒屋へ駆け込んで缶ビール、このところめっきり陽も浅く、歩いているうちに暗くなり、そろそろこんな散歩もできなくなりそうだ。

同日、亀山にて。

生々流転。
同じ様な景色も移ろい行き、従事する仕事も、落ちていく陽も上がっていく陽も、なんなら嗜好だって気付くと変わっていく。
気付けない愚鈍さは過酷な労働には向いているのかも知れないけれど、やっぱり少しだけ変化が感じられると嬉しい。
そんな日常です。
秋になりつつあります。