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【鉄面皮日記】23/02/28.名古屋奇行1

終わりは始まりだから、終わるコトはとても心地よい。
始まったら終わりを予感し、そして終わったらまた始めるコトを準備しなければならない。
なぜかと云えば、その循環こそが生きている証なのだから、止まらず澱まずぐるぐるしちゃうコトこそ生を実感することができ、またそのループ、或いはグルーヴで、どんどん上昇していく。
そのようなものだ、小さな輪っかから大きな輪っかまで交わるコトのない輪がぐるぐる旋回し、スクリューのように掘っていって、その動向がいつしか球体のような軌道を描いて、遂にはその平坦な運動が四次元世界へと昇華していくのだ。
おい、何を云っているんだ。
何か云っているようで、実は何も云ってはいない。

2月後半連休、今いるところから離れて、名古屋へと出掛けた。
名古屋には実母がいるので逢いにいく傍、漁盤(レコード仕入れ)の旅でもあった、
というのもとってつけたような名目であり、実際には呑んだ暮れ酔いどれ紀行でる。
もう酔っ払っていないといられないのだから、きっといわゆるアレであるのだ。
高速バスは素晴らしい。真っ昼間から缶ビールでソレなのだ。
それにしても名古屋は都会、名駅(めいえき)は目まぐるしく人が行き交い、
袖振り合うも多生の縁どころではない、パヤパヤしてたらバシバシとぶつかったきて、
田舎の過疎からやってきた僕はスターマン、いやブッシュマン状態でもいいや、
とにかくもっと酔っ払わなければ正気を保てないくらいの人混みに、既に負けていた。


テレビ塔

母に岡本太郎展がきているコトを聞き、さっそく愛知県美術館へと出向いた。
ビル10階、どうしたって他人顔の高層階、テレビ塔を眺めながらワインをラッパ呑み。
実に無骨な電波塔なのだな、と東京タワーと比べてしまうが、やはり午前様一発目の酔いは
何にも替え難くガツンとくるので調子がでてきて、そのまま展示へ凸入する。
"痛ましき腕"を生で見られて良かった。
時系列に総体的に観覧できるのもいい。
渋谷にある"明日の神話"下絵が3点、そうやって熟考して煮詰めていくのだな、
油絵はさらっと塗っていて、あまり厚塗りしていないものが多いのも意外、
そうしてワインをラッパ呑みしていたら警備員に怒られた。
剥き出しの絵画を前に、そりゃあ不用意だよな、あいすませんと云いつつ、
グラスの底に顔があってもいいじゃないか、酔っ払って見たっていいじゃないか、とただの酔っ払い。
ところで昨今の美術館は携帯写真で作品をバシバシ撮ってもいいんですね、
そこに少なからず驚いた。自分も撮ったけれど。

さて奇行はまだまだ続くんだけど、これ書きながらも呑んでるので、だんだん散漫になってきた。
だめだよお酒を言い訳みたいにしちゃねぇ、あいすまぬ。
そんなわけだから、2月を後にして次回へつづくのであった。


痛ましき腕
明日の神話(下書き)