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〒山の向こう、ネットの海の先

 通勤途中、歩きながらふと見上げると山側に虹が出ていた。見た瞬間、その人のための虹だと思った。その人の誕生日の朝に、私に撮られてアップロードされるための虹。自分が手掛けたわけでもない自然現象を携帯電話で撮影しただけで、私はプレゼントを買ってきれいにラッピングを終えた気分になっていた。

 私たちはお互いのハンドルネームぐらいしか知らない。メールアドレスさえ、まだ使えるのかどうかわからない。去年のはじめから停まったままの、その人のSNSをときどき見に行く。作品がアップされているリンク先をクリックして、知り合った頃の十年前から数年間にわたって生み落とされた詞とか詩を眺める。

 インターネットでの繋がりはほぼ永遠だと思っていた。心情を吐露した日記や、生活のなかで浮かびあがる詩。現実の知り合いとはなかなか語り合えない部分を、さらけ出して付き合っていける間柄。

 しかし、どちらかがオフラインになってしまえば、どちらかが興味をなくしてしまえば、どちらかの身に何かが起こってしまえば、そんな関係は波打ち際についた足跡のように、ものの一瞬で消え去ってしまう。

 あの秋の日に虹を見たときには、誕生日を祝えることの有難さにはまだ気が付いていなかった。

 その人のアカウントに直接呼びかけてみることは可能といえば可能なのかもしれない。だけどこの一年余り、そんな簡単なことができずにいる。ハンドルネームを変えて別の場所でいきいきと活動しているのかもしれない。ネットで何かを発信することに一切の興味を持たなくなったのかもしれない。それは良い方向の想像で、そうでない方向の考えは、思い浮かべることさえ脳の回路が拒む。立ち込めそうになる暗雲を、しきりに追い払う。

 どうか、年に一度きりの誕生日だけではなく、その人の日常すべてにあの日のような虹がかかっていますように。それほどまでに色鮮やかな人生を、力強く歩んでいますように。

 いまは虹が出ていない山の向こう、その彼方に祈ることしか私にはできない。

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