息子と病院に泊まったときのこと

 子供が二歳のとき、副耳の切除手術を受けさせる決断をした。入院は二泊三日。もちろん子供だけでは泊まれないので、母親である自分が付き添った。

 入院初日。病棟の夜は長い。消灯時間は夜九時。それは消灯してから三十分後ほどに起きた。

 子供が力の限りに泣き叫んでいる。

 今にも寝静まろうとしていた小児病棟に響き渡る、サイレンよりも大きい泣き声。

 泣いているのは他ならぬ我が子。

 私たちが寝起きする部屋は四人部屋であった。赤ちゃんと母親が二組、年長さんほどの男の子と父親が一組。大部屋の中はそれぞれカーテンで仕切られ、話し声だろうと生活音だろうとすべての音が筒抜けになっている。

 そのなかでひたすら号泣している息子。

 私は焦って、優しくなだめたり、反対に強い調子で注意したり、抱きしめたりなどしてそれを緩和しようとしたが無駄だった。子供は自分が泣いている状態にあることで余計に暴走し、もはや歯止めがきかない。しかもよくよく聞くと、「パパ! パパいない!」と叫んでいる。母親のプライドもズタズタである。

 周りの人たちに申し訳ない気持ちが最高潮に達した頃に、看護師がやって来た。ナースコールを押すまでもない。泣き声がそのまま病棟中央に位置するナースセンターまで直通したのだろう。懐中電灯で足元を照らしながらナースが提案した。

「プレイルーム、行きますか」

 そこには昼間、息子を連れて行ったことがあった。さまざまな玩具や視聴覚機器を取り揃えた遊戯室。病棟の他の部屋と違うところは、きちんとドアが閉まる点だった。

 かくして「パパ、パパ」と泣き濡れる息子をかき抱きながら移動し、私たちは十畳ほどのプレイルームの床に布団を敷いてもらった。息子はまだぐずっていたが、一連の対応で私は「泣きたい気持ちを刺激しない言葉がけ」を習得した。

それは例えば「パパいない」と泣いたら、「パパいないね、寂しいね」と肯定してやり、「K(息子)はパパのことが大好きだね、パパもKのことが大好きだと思うよ。眠って、明日の昼になったらまたパパに会えるからね」と展望をはっきり示してやることだった。「ノー」ではなく「イエス」と答えさせることによって、落ち着きを取り戻す手ごたえを感じた。それまでは「今はママしかいないから仕方がないんだよ」と逆撫でする言葉ばかりをかけて、いっそう逆上させていたように思う。どちらにせよ、「私では不十分なのだろうか」という疑惑は膨れ上がる一方ではあった。

 そうやってさんざん周囲に迷惑をかけて迎えた翌日、一枚の周知プリントが回ってきた。〈重要〉と赤文字で念が押されている。

『院内で感染型胃腸炎の患者さんが出たため、プレイルームの使用はしばらく禁止とさせていただきます』

 ひととおり読んで、文章の意味を理解するとともに「へっ?」と声が出た。

 その晩の息子は手術後で朦朧としていたので泣き叫ぶこともなく、どこかへ隔離されるということもなかったが、胃腸炎の可能性に戦々恐々とする別の戦いは退院後まで続いた。

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