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自らの倫理観を疑うことで、真実が見える。

倫理観について「有吉佐和子の華岡青洲の妻」を元に書きます。この作品は優れた歴史小説として時代を越えても存在感を放っています。そしてこれからもその価値は変わらないでしょう!!この作品の時代背景は江戸時代、天明の飢饉が日本を襲った18世紀後半です。華岡青洲という医者が世界で初めて、麻酔薬の開発に成功するという話です。しかし、青洲はその麻酔薬の開発のために自身の妻と母を人体実験に使用したのです。今日はそこで、この作品の麻酔薬を開発したという功績についではなく、青洲が妻と実の母を実験台にしたという倫理観について注目したいと思います。

以下、ネタバレとなってしまいますが、

人体実験の結果、妻(加恵)は失明、母(於継)は亡くなります(作中では於継の死因は人体実験によるものとは明記されていません)。人体実験を臨み出たのは、母と妻からですが、青洲自身はこのような重大なリスクを理解した上で実験を二人に遂行しました。皆様はこの事実をどのように捉えますか。私は青洲の倫理観について強く疑問をもちました。もちろん、青洲が世界で初めて麻酔薬を開発したことにより、今まで救えなかった多くの命が救えました。医療発展において大きな功績です。しかし、そのために自分の大切な家族の体、命を犠牲にしたのです。当時は個人の尊厳や人体実験に対する法律は、無かったわけですが、人間としての大切な倫理観は法律が有無によって変わるものはありません。まずは自分の命、家族の命が何より大切であり、それらを何かと天秤に掛けることはしてはいけないのです。確かに、当時は自分の命よりも優先することがある。という考え方があったのかもしれません。しかし、この倫理観は明らかに歪んでいるでしょう。極端ですが、日の丸特攻隊、自害、自爆テロ等も含まれます。 命を掛けるという行為は結果や背景がどうであれ、美談にするべきではないないのです。

私には7歳の娘がいます。その娘が将来、医家に嫁いだとします。そして、画期的な薬開発のため、リスクのある人体実験を受けることになったとします。私は父親として、全力で止めたいと思うでしょう。(止めれるか、止めれないかは別として)理由がどうであれ、これは人として当たり前の感覚では無いでしょうか。例え優れた薬が開発されて、娘の夫が医者としての名声を受けたとしても、もし娘に致命的な後遺症が残ったら、喜べるはずがありません。

作者有吉佐和子はこの倫理観について、どのような考えをもっていたか、わかりません。しかし、我々に出来ることは、歴史は変えられなくても、歴史の捉え方によって未来を変えることは出来ます。善い倫理観を未来に残しましょう!!

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