見出し画像

かきまぜてかきまぜて

私は、

命を奪っていて

命を守ろうとしている


どっちかが表でどっちかが裏ということはない

どっちも一人の人間が一つの脳みそでやっていることだ

自分がわからなくて怖い


時に泣きながら

時に無感情で

情緒的に

淡々と

毎日を送っている。


自分の行動が正しいなんて思ってない。矛盾していることくらいわかってる。どちらかと言えば間違っているのだろう。

ただ今日伝えたいことはそこではないので、ちょっと我慢してどうか置いておいてほしい。


行動はジャッジしやすいのに対して、感情には正しいとか間違いとかなくて、

感じてしまったものは、それが、今の自分の心でしかない。


じゃあその感情は一生変わらないか?


そんなことはない。

同じものに対して違う感情を持つ心に出会えば、変わるものだ。


共感を得られる保証のない人に気持ちを伝えるのは怖い。

だからみんなコミュニケーションを避ける。言わないか、言いっぱなしにする。

でもそれで、あなたのもやもやした気持ちは、一生そのままでやっていけるのか。


誰かの心に出会いたいなら、まずは、自分が相手の気持ちを受け止める態勢でいればいい。

そして、自分の気持ちをごまかさずそのまま伝えればいい。

それでもうまくいかなければいったん距離を置こう。



「動物が好きなのに命を奪っているんですか?」

当事者によく投げられるこの問い。投げ返される反論。


どうか、感情的にならないでほしい。

だからといって、自分の感情を論理で無理やりきれいにまとめようとしないでほしい。

きっとあなたが今まで向き合ってきた気持ちは、今YesはNoかで答えられるような単純なものではないから。


ヒトは複雑な理性を持ってしまった。

ヒトは複雑な感性を持ってしまった。

人の最大の強みであり弱み。

これはもう、向き合い続けるしか、ない。


人間ってめんどくさい。

でも私はどうも嫌いになれない。

複雑なだけ、無限の可能性があるから。

人の数だけある価値観をかきまぜ続けたら、何かが生まれそうだから。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?