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飲み会の日程調整に「○」が多すぎると恥ずかしい気がして意味もなく「△」にした。

スター性のある人がいる。

飲み会に遅れてやってきて、みんなが待ってましたと湧き上がる。一瞬来て盛り上げて、次の会があるんでこの辺でと言って席を立つ。忙しそうだけど、だけど、その人が来てくれただけでなんだかいいものに立ち会えたようなそんな高揚感を覚えさす人。スター。人の懐に入るのが上手で、上の先輩から気に入られ、異性からもよくモテる。抜けている部分は多々あるものの、人たらしな性格でなんだか「許される」感じを醸し出す。スター。

そのスターの輝きを隅の方でただ観ていることしかできない僕がいる。この飲み会は、そもそも時間通りに来たはずの僕が、みんなの到着を15分以上待っていた。そのことは、みんなの頭の片隅にも存在しないのだろう。

スターがいる、彼が、彼女が、今、飲み会の中心で喋っている。最近あった面白い話、人をいじってみたりいじられてみたり。その中心にスターがいる。僕はそれをただ観ている。この飲み会の会場に誰よりも先に現れた僕は、最初に現れたが故に、隅の席に座っている。特に面白い話をするわけでもなく、お酒を飲んで、乾いたポテトフライをつまむ。僕が座る席では、一つの話題が終わればみんな気まずそうに宙を見て、飲み物を飲む。喉が乾いたから飲んでいるのではなく、「誰かがまた新しい話題を運んでくれること」を期待して、僕たちは飲み物を飲む。つなぎ飲みである。

そもそもこの飲み会の日程調整から僕は気まずさを感じていた。調整さんやLINEでスケジュールを合わせる時、空いている日に○を、微妙な日に△を、ダメな日に×をつける。スターは大体「×」ばっかりで。「ごめん!」と言いながら、その「×」はなぜだかイキイキしている。僕は逆に、ほとんど○なわけで。みんながスケジュールを入れる中、ちょっと恥ずかしいので本当は○の日も、意味もなく△にした。

この世界で幅を利かせている人というのは、とどのつまり「誰かに求められている」ということにある程度の客観性を持って提示できている人なのだろう。モテるとか、飲み会の日程調整で×が多いとか、未読のLINEの数が多いとか、フォロワー数が多いとか…僕たちは「誰かに求められている」という本来であれば形にできなかったものを形にすることで、自らの「生」に意味づけをしている。意味づけの先に何があるかは分からない。

僕はきょうも、誰かに求められているという輪郭を掴みたくてnoteを更新した。いつかは、意味もなく△にするのでもなく、イキイキと×にするのでもなく、堂々と○がつけられるそんな社会が来てほしい

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